福井市   地図g

免鳥古墳群
めんとりこふん
免鳥長山古墳(5号墳)は国史跡

福井市免鳥
撮影日2003/5/1
2007/4/26

免鳥古墳群配置図

1号墳 38m 円墳
2号墳
海賊の岩屋
20m 円墳(横穴式石室が開口している)
石室は玄室長3.9m、同奥壁幅2.1m、
羨道長3.3m、同幅1.1m。
3号墳 35m 円墳
4号墳 28m 円墳
5号墳
(免鳥長山古墳)
90.5m 帆立貝形前方後円墳
6号墳 調査の結果、古墳ではなかった
7号墳 14m 円墳
8号墳 36m 円墳
9号墳 14m 円墳

    

免鳥4号墳
免鳥古墳群

福井市免鳥
撮影日2007/4/26

免鳥5号墳の北の丘にある。


免鳥4号墳
発掘したような痕がある。
直径28mの円墳

免鳥2号墳「海賊の岩屋」
免鳥古墳群

福井市免鳥
撮影日2007/4/26

4号墳から少し北に行くと2号墳が見える。
かなり前から「海賊の岩屋」と呼ばれ石室が開口している。

2号墳全景
発掘中でビニールシートがある。

直径14.2mの円墳
免鳥古墳群8基の中で唯一、横穴式石室を持つ古墳。

2号墳石室

石室は玄室長3.9m、同奥壁幅2.1m、
羨道長3.3m、同幅1.1m。





石室内部
石室入口(前庭部)で須恵器がまとまって出土。

免鳥5号墳(免鳥長山古墳)
免鳥古墳群

福井市免鳥
撮影日2003/5/1

2002年12月福井の免鳥で100m位の大きな円墳が発掘調査されたと新聞に載った。
(その後、帆立貝形前方後円墳と位置付けられた。)


免鳥長山古墳の不思議な形

(資料から)
左下の張り出し部が前方部。
葺石の状況と高さの違いからここが前方部に位置付けられた。
後円部径81.6m・高さ14.1m、
前方部幅24.4m・高さ5.3m。



免鳥5号墳遠景1
 (撮影日2003/5/1)
青いビニールシートが見えるその上が古墳。
全長90.5mの帆立貝形前方後円墳
5世紀初めの築造。


  免鳥5号墳 西側より墳頂部を見る。
葺石がいっぱい。斜面には家形埴輪の破片。
(撮影日2003/5/1)

  免鳥5号墳
墳頂より南側 前方部&(陪墳)を見下ろす

(撮影日2003/5/1)

免鳥5号墳 墳頂より北側張出部を見下ろす
(撮影日2003/5/1)

免鳥5号墳墳頂より西側張出部を見下ろす
(撮影日2003/5/1)


免鳥5号墳遠景2
  (撮影日2007/4/26)
2・3・4号墳のある丘陵の途中から見た免鳥5号墳。


古墳の頂上から日本海を望む
(撮影日2003/5/1)

右側は福井の臨海工業地帯。



 免鳥古墳群5号墳データ(免鳥5号墳現地説明会資料(2002年12月;福井市教育委員会より抜粋)
 古墳の形は「」であることがわかった。
 全長90.5mの帆立貝形前方後円墳。後円部下段径約70m・上段径61m、墳頂面径26m。
 墳頂と墳丘西側下段基底部との比高差は約14m。
 前方部は長さ約20m、同端幅約24mで、前方部西側基底部と前方部頂との比高差は約3.9m。
 後円部頂と前方部頂との比高差は約8m。
 福井県内で4番目、越前では3番目の大きさ。
 後円部北東側と北西側の二ヶ所に、前方部よりも一回り小さい方形の造出しがある。
 前方部は下段テラスより若干高く、上段基底部に接することにより、二つの造出しと区別されている。
 後円部は二段築成で、斜面には山石を使用した葺石がある。
 段の間の平らな部分(テラス)には隙間なく円筒埴輪が並べられていて、
   その総数は推定すると580本にもなる。
 円筒埴輪は赤色で黒斑を持ち、
   また横ハケの手法から川西編年のV期に含まれるものと言われている。
 この円筒埴輸の特徴から、免鳥5号墳は5世紀初めの築造と推定されている
 西造り出しの平らな場所からは祭祀に使われた土製品と土器が、
   斜面からは家形埴輪の破片が見つかっている。
 東造り出し下の西側平坦面からは、今回の調査では唯一埴輪の樹立を確認している。
 前方部はテラスから約1m高く作られている。
 斜面には後円部下段の葺石から引き続いて葺石が施されている。
 前方部斜面の葺石は西側斜面が東側斜面に比べて低い位置まで施してある。
 このことから、この古墳は西側を意識して大きく見せるように作られている
 西のくびれ部にはスローブ状の石組みが作られている。
 前方部端部の東側角では葺石が切れている。
 それぞれは墓道であると考えられている。
 この時代の越前では、規模が大きく段築・埴輪、葺石を持つ古墳は大首長のみであり、
   免鳥5号墳の被葬者は5世紀初めの越前の大首長と言える。
 この古墳が築かれるまでの大首長の古墳は、九頭竜川の対岸上の松岡・丸岡に築かれていた。
 しかし、免鳥5号墳は目本海を望む丘陵上に築かれていることから、
   その被葬者は海上交易に通じた人物であったことが想像されている。
 専念寺の石棺
  その昔専念寺境内にあり、
   現在は福井県立博物館に保管されている「免鳥石棺」と呼ばれる石棺が存在する。
  石棺は凝灰岩製の刳抜式舟形石棺で、棺身のみが遺存している。
  最大長280cm、最大幅106cm、最大高54cmの大きさで、
   福井県内の石棺においては大型のものと言われている。
  両小口部に2個ずつ合計4個の縄掛突起があり、内面の底面周りに排永溝を廻らし、
   内面小口部底部中央から外面の小口部に1箇所の排水孔が見られる。 
 2004年3月の福井市教育委員会発表の要旨
 免鳥5号墳は2002年度の調査で全長90.5mの、帆立貝型前方後円墳と判明した。
 二段築成で葺石、埴輪がある。
 規模の大きさなどから「越前の王」の墓ではないかと推測されていた。
 2003年度の調査は、5号墳の後円部の墳頂付近を中心に実施された。
 墳頂部は度重なる盗掘を受けていたが、
    笏谷(シャクダニ)石製の石棺のふたの一部が出土した。
 石棺の身は抜取られていた。
 石棺のふたは墳頂から約二メートル下の地中で壊された状態で見つかった。
 縦1m・横0.7mの大きさで、元のふたの四分の一ほどの部分とみられる。
 のこぎりの歯のような三角形の模様が連続する「鋸歯文(きょしもん)」と、
    鏡を表現した「同心円文」が浮き彫りで刻まれていた。
 石棺に施された模様は「死者の魂を封じ込めるとともに、
    外敵から魂を守る」(市教委)目的があるとされ、
    県内では過去に四例出土している。
 このうち浮き彫り模様は丸岡町の「小山谷古墳」以外になく、鋸歯文は初めて。
 石棺は盗掘をうけていたが、多くの副葬品が出土した。
 棺の周辺からは腕飾りの「鍬形石」や「琴柱形石製品」の破片など、
     大和朝廷の権威を地方に伝えるための装飾品が発見された。
 鉄剣などの武具の破片も数多く出土している。
 免鳥5号墳の副葬品は石製品が多く、
      環頭形石製品も5つに割れた状態で出土。
 このような石製品は、全国的に見ても類例が他に3例しかなく、珍しいもの。
 免鳥5号墳は5世紀初頭にこの地域を治めた大首長の墓と推定されている。
 市教委では「被葬者は畿内政権と強い結び付きを持つ武人ではないか」と推定している。
  (2004年3月13日 市教委文化財保護センターによる現地説明会が行われた。)

 引き続き7・8・9号墳や1.2.3号墳の確認調査が進んでいるようだ。
 以前から「免鳥石棺」といわれているものは一体どこの石棺なのか?

免鳥長山古墳(免鳥5号墳) 出土品(4代)

撮影日2015/2/22

福井市文化財保護センターに免鳥古墳群の出土品が展示されていた。

免鳥古墳群出土品の展示の様子
2号墳
須恵器
  5号墳
車輪石
5号墳
環頭形
石製品
5号墳
鍬形石
5号墳
石製
模造品
2号墳
鍍銀耳環
5号墳
線刻石製品
5号墳
玉類

5号墳
家形
埴輪片
5号墳
朝顔形
埴輪
5号墳
円筒埴輪
5号墳
石棺片

もう少し大きくすると・・・・


5号墳出土
車輪石      環頭形石製品

5号墳出土
鍬形石    石製模造品

5号墳出土の石棺片

5号墳出土
線刻石製品    玉類



これは2号墳出土の
         鍍銀耳環


2号墳は海賊の岩屋といわれている
  横穴式石室を持つ円墳だ
 免鳥長山古墳(免鳥5号墳)は 全長90.5mの帆立貝形古墳
   2段築成 葺石あり 埴輪あり 舟形石棺
   石製環頭、鍬形石、車輪石、勾玉、管玉、鉄刀などが出土している
   5世紀初頭の築造と推定されている。
 後円部2段築成 テラス(下段と上段の平坦なところ)には円筒埴輪や朝顔形埴輪が並べられ、
   斜面には葺石がある。
 後円部の頂上には、舟形石棺が埋葬されていた。(盗掘されている)
   笏谷石製で鋸歯文や同心円文という魔よけの模様が彫られている。
 副葬品には、環頭形石製品や車輪石、鍬形石、鏃形石製品、勾玉、管玉、鉄剣や鉄鏃などの武器がある。
  なかでも環頭形石製品は、古墳から出土した例としては、全国で3例目の珍しいもの。
 西造り出しからは、食べ物を模した土製品が出土していて、祭祀が行われていたと考えられる。

 鷹巣海水浴場に近い、日本海を望む尾根上につくられた古墳
 福井市内では最大の大きさ。
 平成14〜16年度に確認調査。  平成20年に国史跡となる。
           (福井市文化財保護センター・平成22年度企画展パンフから)

 2017年6月3日の免鳥長山古墳


免鳥5号墳  
墳頂を北から見る。

 右は北西側造り出し部

墳頂部 葺石や石室材みたいなものがある。

北東側張出し部

北西側張出し部

後円部から前方部を見おろす

前方部の先にある陪塚風高まり


足羽山古墳群
あすわやまこふん
足羽山公園

福井市足羽・西木田ほか

足羽山公園は現在、桜の名所として有名。
足羽山北麓は、笏谷石(しゃくだにいし)の産地としても有名。
また、明治時代以降は墓碑が建てられ、さまざまな分野の著名人の石碑が林立している。
古墳時代には、4世紀後半から5世紀にかけて足羽山古墳群が形成され、前方後円墳1基と円墳32基が確認されている。
しかし古墳としての原型をとどめているものはほとんどない。

 笏谷石の話
 足羽山の山麓周辺から産出する石材は、凝灰岩で、特に山麓北西部の笏谷から取れるものは、
   少し青みを帯び、なめらかできめが細かく、加工しやすい上質の石である。
 足羽山古墳から発掘された石棺にはこの石が多く使用されている。
 一乗谷朝倉遺跡でも、この石で作られた石仏石塔が散在している。
 北庄城や丸岡城の石瓦や石垣、越前若狭の寺社の灯篭・鳥居・石段・石仏などにも利用されている。
 北前船に乗り遠くに運ばれ、青森県・北海道・山口県・和歌山県などでもこの石が使われた。
 「笏谷石を探す旅」というのもおもしろいかもしれない。

足羽山古墳群の地図(参考: 饅頭山の説明板・山頂古墳前の説明板)

@六地蔵宝塔の円墳
A 龍ヶ岡古墳 円墳 直径30m・高さ7.5m 家形石棺 消滅
B 山頂古墳 円墳 直径60m・高さ7m 継体天皇像
C 稲荷山古墳 円墳 直径30m・高さ7m 平和塔
D 古墳群 小円墳群
E 大塚山古墳 円墳 直径50m・高さ7m 半壊
F 柄鏡塚古墳 前方後円墳 全長61m
後円部径31.4m・高さ5m
前方部長さ29.6m・幅15.5m・高さ7m
半壊
G 饅頭山1号墳 円墳 直径28m
G 饅頭山2号墳 円墳 直径12m 横穴式石室
H 宝石山古墳 舟形石棺 慰霊碑
I 小山谷古墳 円墳 舟形石棺 消滅

@ 六地蔵宝塔並びに円墳
場所の確認を忘れました。

A 龍ヶ岡古墳 撮影日2004/12/10)
山頂古墳をやや下った広場にあった。今は古墳としての面影は無い

龍ヶ岡古墳跡
直径30m、高さ7.5mの円墳
家形石棺
(身の長さ2.33m・幅0.9m・深さ0.45m)の中に
 熟年女性と若年男性の全身骨格がたがい違いにいれられていた。
斜縁二神二獣鏡や石釧6個、勾玉などが副葬されていた。
家形石棺として最古の
5世紀初頭頃の埋葬と考えられる。
B 山頂古墳 撮影日2004/12/10)
明治16年、山頂古墳上に、「継体天皇像」が建てられ、その工事の際に石棺が発見されたが、
 既に盗掘を受けており破壊されていた。
昭和23年、福井地震で継体天皇像が破壊され、その復元工事に先立ち発掘調査された。

山頂古墳
直径21〜25m・高さ3mの円墳と見られているが、
下の部分を加えて、直径57〜60m・高さ7mの円墳という説もある。
長さ3mの竪穴式石室内に笏谷石製の刳抜式の舟形石棺が安置されていた。
石棺の外面に直弧文を線刻し、中に石枕をつくりつけている。
棺内から琴柱型石製品と管玉が出土した。
三角縁神獣鏡2面が出土したとの伝えもあるが現存していない。

4世紀後半から5世紀初めの築造と推定されている。

山頂古墳の真ん中に建つ継体天皇像
顔が大きい!

「越の大王」として
 大和朝廷の皇位を継承した継体天皇の石碑がある。



   山頂古墳下の南斜面に、かつて二葉古墳があった。
 二葉古墳は横穴式石室があるが、規模不明。消滅。

C 稲荷山古墳 (撮影日2004/12/10)
現在、福井平和塔が立っているところに、稲荷山古墳があった。
稲荷山古墳は直径30〜36m高さ7mの円墳
幅4〜5m・深さ約1mの周溝があり、その外に周堤を廻らしていた。
尾根上に位置している。
埋葬施設のみ発掘調査をした。
刳抜式の木棺(材質は栗・内部朱塗)直葬。
鉄剣片2・鉄斧1・鉄鏃1・バチ形鉄片2・筒型銅器6・碧玉製管玉2などが出土した。
4世紀前半の造営で足羽山では最古の古墳と見られている。

稲荷山古墳を破壊して建てられた福井平和塔
 
(昭和34年完成)
平和塔は、日本の再建と世界平和の達成を期して建設され、
 聖人のもたらした御仏舎利6粒が納められている。
福井平和塔に納められている「御仏舎利6粒とは
 インドのネール首相より贈られた十粒中の一粒
 釈迦牟尼佛涅槃の聖地倶尸那伽羅より発掘された三粒
 タキシラ阿育大王が建立した御仏舎利塔より発掘された二粒
 ということらしい。

D 小古墳群 撮影日2004/12/10)

小円墳がたくさん(?)あるらしい。

この小古墳群の中に、かつて国尾古墳があった。
国尾古墳は露出古墳ともいい、直径11mの円墳だった。
横穴式石室を持つが、発掘時には、天井石や側壁上部はすでに無かった。
 6世紀後葉の築造と推定。消滅
国尾古墳は山頂古墳の発掘中に盗掘を受けたそうな。

E 大塚山古墳 (撮影日2004/12/10)
横に小動物園があり、その駐車場となったために古墳の南半分が破壊されている。

大塚山古墳



直径50m以上・高さ約7mの円墳
段築があり、周囲をテラスが回っている。
F 柄鏡塚古墳 撮影日2004/12/10)

前方部側より後円部を望む

全長61mの前方後円墳
後円部長31.4m・高さ5m
前方部長29.6m・幅15.5m・高さ約7m
くびれ部幅14.6m

発掘はされていないので、主体部・時期は不明。


柄鏡塚古墳の後円部の丸み

柄鏡塚の一部を破壊して道路をつけたらしく、
道路の反対側まで丸みが残っている。

G 饅頭山古墳 撮影日2008/3/23)
 通称饅頭山と呼ばれている足羽山の西尾根にある。


饅頭山1号墳
すぐ南(右)に饅頭山2号墳がある。


饅頭山1号墳の墳頂から見る景色

墳頂には埋葬部が示されている。


饅頭山2号墳墳頂から1号墳を見る

饅頭山1号墳東西28m・南北26mの円墳
2段築成で南側にテラスがある。
埋葬施設は石棺直葬と推定されている。(石棺片が出土)
鉄刀・鉄鏃・短甲・冑などの武具類の破片が出土
5世紀中ごろの築造と推定されている。

饅頭山1号墳から2号墳を見る

向こう側(南西)に2号墳の石室が開口している。


饅頭山2号墳墳丘


饅頭山2号墳は 、直径12mの円墳
南西に開口する横穴式石室を持つ。
6世紀の終わりごろの築造と推定されている。



饅頭山2号墳石室入口


右片袖形
羨道長3.5m・全長9m


饅頭山2号墳石室内部


奥壁の大きな石が印象的。
天井石は復元されたものも
含まれると思う。
饅頭山1・2号墳実測図(説明板から)

饅頭山1号墳は、 東西28m・南北26mの円墳

饅頭山2号墳は 、直径12mの円墳




饅頭山1号墳は、復元整備された古墳。
福井市文化財保護センターには、足羽山古墳群の饅頭山1号墳の石棺片が展示されていた。


饅頭山1号墳の石棺片

撮影日2015/2/22

福井市文化財保護センター内


饅頭山1号墳は 東西26m×南北28mの円墳
  2段築成 葺石なし 埴輪なし
  後世の盗掘により破壊されていたが、笏谷石の石棺が埋葬されていた。
  副葬品も多くはなくなっているが、
   衝角付冑の一部や短甲片、鉄製刀剣、鉄鏃などの武具類のほかヤス(漁具)がみつかっている。
  5世紀中ごろの築造と推定されている。
  足羽山の西麓にある。
 1・2号墳が平成4年度に調査された。
   (福井市文化財保護センター・平成22年度企画展パンフから)

H 宝石山古墳 (撮影日2008/3/23)

宝石山古墳跡
慈母観音を祀った慰霊塔が建つ
昭和20年の福井空襲の犠牲者と
昭和23年の福井大地震の犠牲者の魂を慰めるため、
昭和36年に建立された。
宝石山古墳径20m・高さ2mほどの円墳
1958(昭和33)年、凝灰岩製の舟形石棺が出土。
石棺は、棺身長2.28m・幅1m。内法長1.85m・幅0.67m・深さ0.25cm
  排水孔がある。縄状突起がある。
副葬品は
 棺内から、 鉄刀・刀子・鹿角製刀装具・鉄鏃・櫛
 棺外から 鉄刀・鉄剣・鉄鉾・鉄斧・鉄鏃
 棺内には、男女2遺体が発見された。
5世紀後半の築造と推定されている。



慰霊塔内に安置されている慈母観音像
ガラスにさえぎられてよく見えない


I 小山谷古墳跡
 場所の特定ができなかった。
 円墳。凝灰岩製の舟形石棺(長さ2.33m幅1m・深さ1m)直葬。
 石棺は蓋に鏡を模したらしい同心円文を彫り出してある。縄状突起、石枕がある。
 管玉1・臼玉12・子玉2・刀子片・木製合子・骨片が出土
 消滅。

この他に
1962(S37)年、笏谷石採掘現場から出土した石棺がある。
小山谷石棺と名づけられて、身のみが遺存している。

築造された順番は
稲荷山古墳→山頂古墳→小山谷古墳→龍ヶ岡古墳→宝石山古墳
と考えられている。
未発掘の大塚山古墳・柄鏡塚古墳・饅頭山1号墳も首長墓級の墳墓だと考えられている。
(足羽山古墳群の説明板と「福井市史」を参考に、書かせていただきました。)

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