北村さんちの遺跡めぐり
更新日2018/3/30
2018年早春の能登
2017/12/9
2018/3/4
3月に入り、あまりの快晴に誘われて、能登方面にドライブ。
昨年12月に見学した石川県埋蔵文化財センターのホール展
「口能登・中能登の古代遺跡」に紹介されていた遺跡は、現在どうなっているかを見てきた。
志賀町の二所宮宮山古墳群も見学。
二所宮宮山古墳群 |
志賀町二所宮 |
2016年4月に、二所宮宮山古墳群があるという諸岡比古神社へ来たが、
古墳がどこにあるのか分からなかった。
HP「いしかわ文化財ナビ」で、大体の位置を確認してもう一度訪れてみた。
二所宮宮山古墳群 配置図 (イメージ図)
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西の参道入口にある鳥居
ここから東へ300mくらいの参道を上って下ると
諸岡比古神社がある。
参道の途中の高い所付近に古墳が6基確認されている。
4号墳 (削平) |
参道途中の頂部 4号墳を破壊して参道が通っている。 参道両側に、4号墳の残骸が残っているようだ。 |
参道南に残る4号墳 下部だけ残っているようだ。 墳丘の中心部は参道で完全に破壊 参道北側にも4号墳の一部が残っている。 4号墳は、削平されたことになっているが、 群中、最大だったかもしれない・・・ |
4号墳南側には、5・6号墳がある。
5号墳・6号墳 | |
手前中央が5号墳 右奥は6号墳 データでは5号墳が大きいはずだが、 5号墳は一番小さく残っている。 どちらも、痕跡程度の墳丘 写真ではよく見えないな… |
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5号墳 墳丘の周りに赤い杭が巡る。 奥の林のそばにも墳丘があるのかな・・・ |
6号墳 墳丘の周りに赤い杭が巡る。 |
参道の北側から林に入ったところに3号墳
3号古墳 (車塚) | |
墳丘 径30mの円墳 |
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周溝辺りには赤い杭がめぐっている。 |
墳頂には大穴があいている。 |
3号墳から西に行った尾根先端部に、1・2号墳。
1号墳・2号墳 | |
1号墳墳丘 |
1号墳墳頂 |
1号墳の墳頂には大穴があいている。 |
2号墳 |
写真がうまく撮れなくて、とても残念・・・!
福井ナカミチ遺跡 |
志賀町福井 |
石川県埋蔵文化財センターのホール展「口能登・中能登の古代遺跡」に紹介されていた遺跡。
埋文説明文 福井ナカミチ遺跡は 【縄文時代、弥生時代、奈良・平安時代】の遺跡 近世まで存在した旧福野潟に面した於古川(オコガワ)沿いの低地にあり、 遺跡の眼前には当時入り江が広がっていた。 平安時代前期を中心とする掘立柱建物が規則的に配置され、 墨書土器や仏器の出土から寺院が関連した遺跡と考えられている。 文字資料からは祭祀の様子がうかがわれ、塩作りも行なわれていた。 |
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調査区 (埋文展示から) もとは福野潟があった。 |
現在の福井ナカミチ遺跡 (撮影日2018/3/4) 発掘調査されたところには、新しい道路が通っている。 |
9世紀代の掘立柱建物跡 (埋文展示から) |
出土物展示 右上が製塩土器群 (埋文展示から) |
穴口古墳群 |
志賀町穴口 |
福井ナカミチ遺跡の北の穴口地区に前方後円墳があるという。
穴口天神神社に行って、古墳見学を試みるが、1号墳に到達しただけで挫折・・・。
穴口1号墳
この細かいメダケをかき分けないと、先には進めない・・・・。
穴口古墳群配置図
穴口5号墳は全長43mの前方後円墳。
後円部径24m・前方部長23.5m・前方部先端幅22.5m。
後円部・前方部とも高さ3.1m・くびれ部幅15.7m。
後円部は大きな盗掘を受けている。
内部主体は不明。
段築・葺き石・埴輪はなし。
能登国分寺跡 古府・国分遺跡 |
七尾市国分町・古府町 |
石川県埋蔵文化財センターのホール展「口能登・中能登の古代遺跡」に紹介されていた遺跡。
埋文説明文 【古墳時代終末期、奈良・平安時代〜中世】の遺跡 西の眉丈山系と東の石動山系に挟まれた邑知地溝帯の北端にある。 1970(昭和45)年以来、数回の確認調査で法起寺式の伽藍配置を確認、 国史跡に指定され現在は史跡公園になる。 古府・国分遺跡(フルコ・コクブイセキ)では、 国分寺の経営に関わる建物群や瓦塔、硯など寺院関連遺物が確認されている。 今回の調査区 調査区には、新しい道路ができ、 その横では、 七尾博物館の建設が進んでいる。 |
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B区 掘立柱建物群 (埋文展示から) |
出土した 土師器・甑 須恵器・双耳瓶 (埋文展示から) |
出土物展示の様子 (埋文展示から) |
能登国分寺展示館は、冬季閉鎖中だった・・・。
能登国分寺公園 能登国分寺は、平安時代初めの承和10年(843)につくられ、 疫病や飢饉、反乱などによる国内の乱れを仏教の教えにより抑え、 平安な世にする祈りの場として400年間栄えた寺である。 昭和45年から発掘調査を行い、49年に国史跡となる。 平成元年から文化庁の「ふるさと歴史の広場」事業として整備を始め、平成4年にオープン。 能登国分寺跡案内図 1000年前の姿そのままに復原された 南門と塀をはじめ、 塔、金堂、講堂、回廊などの建物跡の 遺構を整備してある。 |
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能登国分寺公園 復原された南門と塀 |
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中門跡 |
回廊跡 |
塔跡 |
講堂跡と回廊 |
北門跡 |
中門跡から見た南門 |
昨年は七尾市で「国府サミット」が開催されたというが、
「古代こしのくに特産品」がテーマだったので行かなかった。
四柳白山下遺跡 |
羽咋市四柳 |
石川県埋蔵文化財センターのホール展「口能登・中能登の古代遺跡」に紹介されていた遺跡。
埋文説明文 【縄文時代〜江戸時代初頭】の遺跡 土砂災害の痕跡が残る遺跡 碁石ヶ峰山地から邑知地溝帯に伸びる小扇状地上にあり、 土砂や土石流に覆われた各時代の生活面が累積して確認された。 7年間の調査のうち、奈良〜平安時代を中心とする1・2次調査では、 各種の墨書土器、帯金具、木沓、和同開珎などの特徴的なものが出土し、 火を受けた赤彩土器などの呪いの様子も見られる。 |
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調査地の航空写真 (埋文展示から) |
現在の四柳白山下遺跡 (撮影日2018/3/4) 調査区には、新しい道路ができている。 |
奈良・平安時代の水田と用排水施設 (埋文展示から) |
木沓出土状況 (埋文展示から) |
出土物 (埋文展示から) |
出土物展示 大甕や大瓶なども出土している (埋文展示から) |