北村さんちの遺跡めぐり
更新日2007/6/21
羽咋市の古墳 2006/12/24
2007/4/29
2006年夏に手に入れた羽咋市遺跡地図を見ながら、羽咋市の古墳にあこがれる。
羽咋市の山手の福水地区に、市指定史跡の福水円山古墳群があると知り行ってみる。
福水地区にいってぐるぐる探し回るが、わからない。
遺跡地図を拡大鏡で見てみると寺の後あたりだとわかり、お寺のほうへ行くがわからない。
と、庭仕事をしている男性発見!
その方に尋ねると、知っているという。
なんとその方は、福水円山1号墳の発掘に関わった方だった。
こんな出会いがあるなんて!感動!
82才だというその男性は、自宅の裏山の石室が露出したところまで案内してくださった。
その男性の話
「氷見出身の相撲取り”港川”の子孫がこの土地に住んでおり、その”港川”の記念碑を立てるために山から石材を掘り出した。
その時、有識者にみてもらったところ、その石は石室の石材だとわかり、発掘調査が行われた。
私が29才の時のことだった。
港川の石碑はこの下の道路沿いにあるから、それも見学していくといい。」
福水円山古墳群 ふくみずえんやま |
羽咋市柴垣町 |
福水円山古墳群は4基確認されているが、1号墳だけが市指定史跡になっている。
福水円山1号墳全景
台地上の先端の荒地に、
墳丘もなく、雑木と雑草に埋もれている。
この状態では、探してもわからないはずだ。
横穴式石室の天井石部分
石材がところどころ抜き取られ穴が開いている。
福水円山1号墳は、1953年発見。翌年発掘調査。
横穴式石室墳
出土品は、須恵器・土師器・直刀・刀子・杏葉などで、羽咋市立歴史博物館で展示されている。
石室入り口
土砂に埋もれそう。
羽咋市の指定史跡だというが、案内板もなく、放置されている状態。
数年先には土砂で埋まってしまいそう。
関取”港川”の記念碑
石室石材を使って立てられた。
周辺に2号墳・3号墳・4号墳があるというが、わからなかった。
福水円山古墳群
1号墳 | 横穴式石室 | |
2号墳 | 円墳 | 径8m・高さ2m |
3号墳 | 円墳 | 径6〜8m・高さ2m |
4号墳 | 円墳 | 径6〜8m・高さ2m |
羽咋市には市指定史跡の古墳がもう二つある。
柳田地区の山伏山古墳と宮の山古墳だ。
以前にも探したがわからなかったので、まず、羽咋市立歴史博物館(羽咋コスモアイル隣)に行き、場所を尋ねる。
窓口にいた人は遺跡に詳しくなかったが、電話で問い合わせてくれたり、地図をコピーしてくれたりと精一杯の対応をしてくれた。
頂いた地図を持って柳田地区へ。
その前に・・・・・・・・。
羽咋市立歴史博物館には、柴垣ヤッキャマ古墳の箱式石棺(複製だと思う)が、発見当時のまま展示されている。
柴垣ヤッキャマ古墳 (柴垣古墳群) |
羽咋市柴垣町 |
北の志賀町との境界線近くにある。
99年、道路の改修中、斜面に石棺が露出しているのが発見され、調査された。
板石を組み合わせた石棺には人骨1体が埋葬されていた。
剣・刀子・鉄鏃・土師器などが出土している。
羽咋市立歴史博物館の2階に復元展示されている。
箱式石棺がどんなものなのか、よくわかる。
柴垣円山1号墳の石材とよく似た石が使われている。
では柳田地区にいきましょう!
柳田地区の入り口に「柳田台地遺跡群」の石の案内板がある。
柳田台地の古墳地図
光泉寺(無住の小さなお寺)そばの草むらに駐車して歩いて山伏山1号墳を探す。
柳田地区の詳しい地図をいただけたので確信を持って探せた。
見つかったけど、回りは墓地。雑木林や雑草に埋もれている。
柳田山伏山1号墳 (柳田古墳群) |
羽咋市柳田町 |
「山伏山」ではなく「山伏穴」と書かれた書物もある。
山伏山1号墳全景 (4枚の写真を合成したので実際とはちょっと違う)
雑木や雑草をかき分け、墳頂にあがってみる。
石室に使われたような石が置かれている。
横穴式石室と思われる穴もあるが、本当にそうなのかよくわからない。
墳頂に置かれた石
穴
天井石はない。
よくわからない写真だなぁ・・・・・
山伏山1号墳実測図
主軸をほぼ東西に置き前方部を西に向ける。
全長49mの前方後円墳。
後円部径29m・高さ7m
前方部幅18m・高さ8m
葺き石・埴輪なし
後円部南面に横穴式石室が開口する。
石室はすでに天井石を失っていた。
石室全長7.16m・玄室長さ4.42mの片袖形、玄室床面には礫を敷きつめていた。
盗掘から逃れた副葬品は、管玉8・臼玉2・直刀片・刀子2・鉄鏃・心葉形杏葉・金具・須恵器など。
6世紀前葉ごろの築造と推定されている。
1号墳の東となりに2号墳がある。
わずかな高まりがあるところだと思うが、墓地になっているようだ。
柳田山伏山1号墳の南側の小道を東に行くと楊田神社の奥宮がある。
楊田神社の奥宮は宮の山古墳の上に乗っている。
柳田宮の山古墳 (柳田古墳群) |
羽咋市柳田町 |
楊田神社の奥宮に守られた宮の山古墳はしっかりとわかる墳丘がある。
羽咋市立歴史博物館でいただいた地図でも、等高線の様子から、古墳とわかる。
楊田神社の奥宮参道入り口
参道は三段築成の部分が削られている。
墳頂にある奥宮の小さな社
手前にみえる石材は石室のものか?
雑草などが刈り取られていて、円墳の形や3段築成の様子がよくわかる。
3段築成の様子
2段目
宮の山古墳実測図
長径42mの円墳
三段築成
今年の初詣は、楊田神社の奥宮でした。
柳田古墳群
柳田宮の山古墳 | 円墳 | 径42m | 直刀・刀子・馬具・管玉・須恵器など |
柳田山伏山1号墳 | 前方後円墳 | 全長49m | |
柳田山伏山2号墳 | 円墳 | 径17m | |
柳田うわの1号墳 | 円墳 | 径16m | |
柳田うわの2号墳 | 円墳 | 径13m | |
柳田うわの3号墳 | 前方後円墳 | 全長39m | |
柳田うわの4号墳 | 円墳 | 径8m | |
柳田うわの5号墳 | 円墳 | 径10m未満 | |
柳田うわの6号墳 | 円墳 | 径25m | |
柳田テンジク古墳 | 円墳(一部損壊) | 径15m | 須恵器・鉄鏃・小札様鉄板・刀子 |
柳田セックデン古墳 | 円墳(損壊) | 径15m・高さ2m | 退化した羨道部を持つ横穴式石室 須恵器・管玉 |
柳田台地には、古墳のほか、弥生・奈良・平安時代の集落跡や須恵器生産の窯跡、
柳田シャコデ廃寺跡(善正寺の前庭に塔の心礎石が移築されている)などの遺跡も存在する。
柳田台地の西、能登有料道路を越えたあたりに、大穴持像石神社があり、
その段丘先端部に寺家モスケ古墳があった。
寺家モスケ古墳 |
羽咋市寺家町 |
寺家モスケ古墳のある崖を歩いてみたが、見つからなかった。
崖の真ん中に石室の大きな石が露出していたらしいので、危険なため撤去されたのだと思う。
「眉丈台の遺跡群」(1992 羽咋市教育委員会)の中に調査報告があったので、紹介しておく。
1990年、崖に石室が露出していたのが発見された。
墳丘は削平されていた。周溝の跡なども発見できなかった。
石室は地山を隅丸長方形に掘り込んだ土坑内に造られていたと推定。
石室は奥壁付近しか残っていなかった。
石室の大半が消滅してしまっているので正確な石室形態はわからない。
石室内から須恵器の杯蓋・杯身・高杯・金環・ガラス小玉が出土した。
南側に退化した羨道部がある小型の横穴式石室を持つ。
高さ1m前後・大きさ10m程度の円墳もしくは方墳
と考えられている。
大穴持像石神社 |
羽咋市寺家町 |
寺家モスケ古墳のあったところと同じ台地に鎮座する。
大穴持像石神社全景
古墳のようにみえるが・・・
大穴持像石神社社殿
小山を掘り込んで建てられている。
大穴持像石神社の境内にある
「地震石」
どういういわれがあるのだろうか?
大穴持像石神社といえば・・・・・
中能登町(旧鹿西町)の鳥屋塚を探したときの神社は
宿那彦神像石神社であった。
どちらも祭神は大国主尊が含まれているらしいが、なぜ「像石」という名が付いているのでしょうね?
大穴持像石神社と同じ台地上の西に能登一ノ宮の気多大社がある。
気多大社 |
羽咋市寺家町 |
気多大社神門(国重文)
国重文の建物・資料がたくさんある。
能登一ノ宮といいながら、神主問題で現在もめている。
どうなっているのでしょうね。
寺家町・滝町の古墳地図
寺家モスケ古墳の西、滝古墳群の滝白尾塚古墳・滝テングミズ古墳・滝オーショージ古墳のあたりを歩いてみる。
滝古墳群 |
羽咋市寺滝町 |
古墳とわかるような地形はなかった。
滝白山神社古墳は、神社の上にあるから残っているかもしれないと思い、行ってみたが、
墳丘を壊して、神社を建てたということで古墳とわかる状態ではなかった。
古墳を削平して建つ滝白山神社
古墳の面影はないが、石が置かれている。
滝古墳群のまとめ
滝1号墳 | 径20mの円墳 | 円筒埴輪・須恵器 | |
滝2号墳 | 径20mの円墳 | 円筒埴輪・須恵器 | |
滝3号墳 | 径15mの円墳 | 須恵器・直刀(2)・鉄鏃・馬具・鈴付杏葉・管玉など 出土品は市指定文化財 |
横穴式石室 |
滝4号墳 | 径15mの円墳 | 天井石・須恵器 | |
滝5号墳 | 径50mの円墳 消滅 |
円筒埴輪・石材 | |
滝6号墳 | 径25mの円墳 | 円筒埴輪・須恵器 | |
滝7号墳 | 円墳 消滅 | ||
滝8号墳 | 径15mの円墳 | ||
滝9号墳 | 自然地形か? | ||
滝大塚古墳 | 全長90mの帆立貝式古墳 | 円筒埴輪・朝顔形埴輪、須恵器、勾玉 葺石 | 竪穴式石室か? |
滝ゴンニョモ山古墳 | 消滅 | 葺石 | |
滝白山神社古墳 | 径20mの円墳 | 須恵器・土師器 | 損壊 |
滝ザンサ山古墳 | 径20mの円墳 | 石材 | 損壊 |
滝オーショージ1号墳 | 円墳 | 須恵器 | 損壊 |
滝オーショージ2号墳 | 円墳か | 須恵器・土師器・朱塊 | 損壊 |
滝オーショージ3号墳 | 須恵器・土師器 | 損壊 | |
滝オーショージ4号墳 | 須恵器・土師器 | 灯台建設時 損壊 |
|
滝オーショージ5号墳 | 須恵器・直刀・朱塊 | 損壊 |
消滅と損壊の違いは?
羽咋市の地図y
2007年4月29日
能登半島地震からほぼ一ヶ月、関野鼻まで行ってみる。
富来町(現志賀町)に入ったあたりから、家屋の屋根のブルーシートが目に付くようになる。
能登金剛のレストハウスは普通に営業していたが、
関野鼻のレストハウスは建物の土台あたりまで崖が崩れていて、全面立ち入り禁止。
去年の夏、関野鼻に行き、レストハウスの庭にあった「さざれ石」を見た。
あの「さざれ石」も海の中に落ちてしまったのだろうか?
松本清張の「ゼロの焦点」で有名な「ヤセの断崖」も立ち入り禁止になっていた。
道路の陥没が2箇所あった。
なんか、とてもさびしい気持ち。