更新日2005/9/14

 
奥能登ハーブの丘
大畠南古墳群
垣吉A古墳群
 2005/7/17
 

能登半島の先端にハーブの丘があるという。
一度行ってみたいと思っていたが、遠いので延び延びになっていた。
7月の連休の1日、行ってみようと決心。
整備されたという大畠南古墳、畝源三郎さんのHP「能登の古墳」で教えていただいた垣吉A古墳群も見に行くことにする。
 8:45 自宅出発
 9:30 白尾インターから能登海浜道に入る
10:20 別所岳PAでトイレ休憩
10:35 穴水町通過
11:25 旧能登鉄道珠洲駅前
11:47 珠洲ハーブの丘八ヶ山ガーデン到着

暑い!なんと気温は32度。
お腹もすいた。
食べるものはあるのだろうか?

地図g

石川県ハーブの丘
珠洲ハーブの丘八ヶ山ガーデン

珠洲市

入場料一人500円(摘み取り体験は +200円)
まず食事だ。バーベキュー広場では、バーベキュー1人前1890円。
二人で一人前注文して食べることにする。
能登牛はとてもおいしかった。さすがに二人ではちょっと足りない。


一面のラベンダー畑

山の斜面にラベンダー畑。
暑くて歩くのも大変。
摘み取り150本。暑くてバテちゃいました。
しんどくて、園内シャトルバスにも乗った。
園内喫茶店でハーブティーとシフォンケーキを食べて休憩。
涼しくてホッとしました。

  私は、ラベンダーと聞くと、映画やテレビドラマになった「時をかける少女」を思い浮かべる。
 「時をかける少女」では、ラベンダーの香りはタイムトラベラーの必需品だった。
 ラベンダーの香りを嗅げば、タイムスリップできると思っていたころの私が懐かしい。


摘み取ったラベンダーで、匂い袋を作ろう!

もう少し涼しいときに行かないと大変だと実感。
なんせ暑くて、逃げ出すように出発。

13:40 八ヶ山ガーデン出発。車の中はハーブの香りでいっぱい!
13:50 珠洲ハーブの丘・唐笠ガーデン通過
大畠南古墳群を探す。
大畠地区をぐるぐる探しまわる。
14:40 老人ホームへの道の脇にようやく大畠南古墳を発見。

大畠南古墳群
おばたけみなみこふん

珠洲市宝立町春日野大畠
(撮影日 2005/7/17)

1990年道路の工事予定地に、2基の古墳が発見され、発掘調査が行なわれた。
調査後、比較的保存状態の良い1号墳が移築された。


大畠1号墳(移築復元)

残念ながら、石室の部分はシートで覆われており、
石組の様子を見ることはできなかった。
「大畠南古墳群」と書いてある木製の碑が倒れていたので、起こして写真を撮る。
長径12m・短径8mの楕円墳
南東方向に開口した横穴式石室がある。
天井石と側壁の上部積み石が抜き取られていて、高さは不明。
7世紀末の築造と考えられている。

1号墳復元図(説明板より)
須恵器(杯・壺・瓶)と管玉、刀子、鏃、金環が出土。


2号墳もほぼ同規模・同様の状態だった。
1・2号墳のあったところは、今は道路になっている。

大畠古墳群

珠洲市宝立町春日野大畠地内
(撮影日 2005/7/17)

大畠南古墳の発見よりずっと以前から存在がわかっていた古墳群。
7世紀ごろの築造と考えられている。

大畠古墳群のひとつと思われる小山
大畠南1号墳復元地から20mくらい東へ行ったところの林の中に、
   ぽっこりした小山がある。
木が整理されているので、整備されるのかもしれない。
何号墳なのだろうか?


4基程度の円墳からなる。1・4号墳は耕作などで消滅。
1933年に開墾中に横穴式石室が掘り出されたのは1号墳で、土器が40〜50個出土した。
4号墳も開墾で墳丘を失っていたが、1951年、環頭柄頭(金銅装双龍式環頭太刀)が掘り出された。
石川県では同種の柄頭が3点出土している。
(穴水町袖ヶ畑古墳、鹿島町曽禰古墳)

永禅寺古墳
(説明板より)

珠洲市上戸町
(撮影日 2005/7/17)

大畠南古墳群付近(説明板より)

大畠南古墳群から北約600mのところに、永禅寺古墳群がある。
永禅寺古墳群は、標高45mの丘陵尾根上に円墳6基がある。
1号墳・2号墳は発掘調査が行なわれたそうだ。
5世紀後半から6世紀にかけて築造されたと考えられている。




15:00 大畠古墳群出発
15:30 輪島市三井町洲衛地区通過。
 洲衛(すえ)には須恵器を作った窯跡があるという。
 「すえ」と付く地名のところは、須恵器と関係があることが多い。
 須恵→スエ→洲衛→末→吸などと変化して行ったらしい。

 穴水町の海岸沿いにある鹿島神社(鹿島地区)・菅原神社(曽福地区)は古墳ではないか?
 田鶴浜白浜町の十一面観世音は古墳ではないか?
 とか話しながら
16:30 垣吉A古墳群到着

地図g

垣吉A古墳群・
垣吉A墳墓群

七尾市(旧田鶴浜町)垣吉
(撮影日 2005/7/17)

以前、発掘直後に来たことがある所みたいだ。
そのときは、何がなんだかわからなかった。

垣吉A古墳群・垣吉A墳墓群配置図

サンビーム日和ヶ丘という複合施設の中の公園として整備された。
標高18m〜20mの丘陵の東から南の先端部に築造されている。


方形周溝墓4基(弥生時代後期)、方形台状墓1基(弥生時代終末期)
円墳41基(古墳時代中期〜後期)、横穴3基
が確認されている。




垣吉A33号墳(古墳時代中期・6世紀前半〜7世紀前半?)

直径7m・周溝の幅1m・高さ1mの円墳
古墳の中央に箱式石棺が築かれていた。
石棺の大きさは、長さ195cm・幅70〜80cm・高さ35cm。
副葬品として刀子と鉄鏃が埋葬されていた。


42号墳(?)


17号墳(?)


垣吉A墳墓群

弥生時代後期〜終末期の築造。
墳丘の高さは50cmほど。
溝で周囲を方形状に仕切り、内側に遺体を埋葬した墓坑がある。
第4方形周溝墓の第1墓坑は長さ2.6m・幅1m・深さ0.45m。
墓坑の上や周囲の溝から、
  葬送儀礼に使用した弥生土器が割られた状態で出土した。


垣吉A43号墳

直径8m・周溝の幅1.5mの円墳
開墾されていて高さ・埋葬状態は不明。
周溝部分から須恵器や土師器が多数出土した。



一番大きい36号墳と思われる盛り上がり。

平和塔の横にある。




横穴や10〜16号墳があると思われる雑木林。

その横は住宅地となり、おしゃれな家がたくさん建っている。
発掘調査をしたのは、第1方形周溝墓・第4方形周溝墓坑・33号墳・43号墳だけだ。

やっぱり暑い!
たこ焼きとお茶で一休み。
冷たいお茶のなんとおいしいこと!
 17:00 垣吉A古墳群出発

さあ!何回探しても見つからない七尾市矢田丸山古墳を探しに行こう!

七尾市矢田地区をぐるぐる回って丸山古墳を探すが見つからない。
矢田地区は昔からの集落で、道が狭く、ぐるぐる回るのも一苦労。
 17:45 あきらめた。家路につこう。
 19:20 金沢市安原の「カレーのチャンピオン」で夕食。
 20:00 自宅に到着。福井で就職している長女が帰省していて、ビックリ!
 長女の夕食は冷蔵庫の中の残り物。かわいそうに!

暑かった。すずしくなるまでドライブはお休みだ。

何度探しても見つからない矢田丸山古墳。
後日、図書館で七尾の住宅地図を見て、大体の場所がわかった。
今度こそ、矢田丸山古墳に行くぞ!

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