更新日2005/7/12

押水の遺跡

能登へ行くとき、押水(宝達志水町)の「宿」という集落を通るたびに、
   「このあたりに前方後円墳があるらしいけど、どこにあるのかね。」と言いながら、通り過ぎていた。
図書館で調べたところ、この宿の前方後円墳は押水バイパス(現在159号線)の通り道になって、発掘調査後、消滅したことがわかった。

だが、押水には冬野大塚古墳、竹生野天皇山古墳などがまだそのまま残っている。
ゴールデンウィークの直前の日曜日、それを探しに行こうと、出発した。

まず冬野大塚古墳を探す。
JRの免田駅のすぐ近くの冬野の集落をうろうろして、ようやく雑木林の小山を発見。
「埋蔵文化財包蔵地」と書かれた木製の碑が倒れていたので、それを起こして写真を撮る。

地図g

宝達志水町の地図y

冬野大塚古墳
ふゆのおおつか

宝達志水町冬野
撮影日2005/4/24


冬野大塚古墳
古墳時代中期に築かれた直径38m、高さ5m以上の円墳
昭和39年、部分調査が行なわれた。
墳丘斜面に大人の頭くらいの大きさの葺石が一面に敷き詰められていた。
墳頂部には等間隔で素焼きの円筒埴輪などが並べられていた。
すぐそばで見ると、確かに古墳だと感じるけれど、写真ではよくわからないのが、とても残念だ。

お昼になったので、近くのスーパーで弁当を調達、「モーゼパーク」で食べることにする。
押水バイパスを北に向かうと「モーゼパーク」の案内板がでているので、そのとおりに進むと、到着。
モーゼパークのベンチでランチ。
天気もよく、さわやかで気持ちが良い。
椿もきれいに咲いている。枝を少し折らしてもらって、家で挿し木をしよう。

モーゼパーク
河原三つ子塚古墳群

宝達志水町字河原・山崎
撮影日2005/4/24

モーゼは押水に来て、この地で亡くなり葬られた。ここ「モーゼパーク」はモーゼのお墓だ。
あの旧約聖書の「十戒」のモーゼです!
・・・・でも本当は古墳なのです。
公園の入口からかなり登ったところ、標高102mの丘陵尾根に古墳群がある。





2号墳


直径27.5m・高さ5.2mの円墳


1号墳

直径38.9m・高さ6.5mの円墳

冬野大塚古墳と同じく葺石・円筒埴輪を持ち、ほぼ同時期に築かれている。





3号墳

直径36.7m・高さ5.1mの円墳
古墳時代中期の古墳群で、10基の円墳が確認されている。
中でも3基の円墳は直径27.5〜約39mとひときわ大きい。

2号墳がモーゼの墓。その他は従者の墓といわれている。

なぜこモーゼの墓と言われているのか?
モーゼはシナイ山に登った後、なんと天浮船に乗り、能登宝達に到着。十戒を授かり、三つ子塚に眠るという。
モーゼは583才まで生きたそうで、奇想天外なミステリーから、奇想天外な伝説が生まれるのか?

宝達志水町の地図y

つぎは竹生野天皇山古墳を探す。
古墳の上に竹生野神明社が建っているというから、竹生野神明社を探せばよい。
竹生野の集落をうろうろし、外に出ているおじさんに尋ねて、ようやく竹生野神明社を発見。

竹生野天皇山古墳
たこのてんのうやまこふん

宝達志水町字竹生野
撮影日2005/4/24

竹生野の集落の裏山が神明社だ。
竹生野神明社の由緒書きには、垂仁天皇記に出てくる「竹野媛」との関連の記述があるのだけど、どうなのでしょうね?



竹生野天皇山古墳の上に建つ神明社


古墳としての写真を撮りたかったのだけど、大きくて撮れなかった。
建物が建っているところは後円部。
後円部に実際に立ってみると、前方後円墳だとわかる。




竹生野天皇山古墳の前方部


社殿の左後ろにある。



竹生野天皇山古墳実測図

古墳時代後期の全長57mの前方後円墳
明治末期にヒスイの管玉、金環、刀、須恵器片が出土したが所在は不明。
竹生野天皇山古墳のすぐ横に2基の円墳があり(1基だけ確認できた)、合わせて竹生野天皇山古墳群と名付けられている。

古墳のすぐ横に末森城址の登り口がある。
自動車で登れるところまで行ってみた。
ちょっとした山登りのつもりじゃないと行けないようだったので、末森城址は断念した。

竹生野天皇山古墳のすぐ北の尾根に、以前から行ってみたいと思っていた前方後円墳があったらしい。

宿東山1号墳
宿東山古墳群

宝達志水町字宿

消滅したため、写真はない。調べたことだけ書きます。

宿東山1号墳の実測図
東山1号墳は前方後円墳で、全長21m。
前方部をほぼ北に向けている。
埋葬施設は長さ約2.3m・幅約50pの箱形木棺。
盗掘の跡もあったが、棺内に中国製の方格規矩鏡1枚が副葬されていた。
この種の鏡は加賀市分校1号墳で出土している。
周溝からは壺や高杯などの供献土師器が出土し土器祭祀が盛んだったことがわかった。
4世紀前半の築造。(古墳時代初め、七尾市国分尼塚より後)
宿東山古墳群は、見晴らしのよい丘陵の尾根に築かれた古墳群。
2つのまとまりに分かれ、東支群は前方後円墳1基、円墳2基
西支群は前方後方墳2基、方墳3基、円墳数基が確認されている。
宿東山1号墳を含む東支群は、押水バイパスの通り道になり消滅した。

宿東山古墳群の西支群のほうへ行こうかとも思ったけれども、現状がとうなっているのかわからないのでやめた。

竹生野天皇山古墳と宿東山古墳の位置関係図

押水には、他にも東間宝殿山1号墳(横穴式石室を持つ古墳時代後期の円墳)などもあるそうだ。

宝達志水町の地図y

午後3時です。
中島ヤマンタンに行こうかな。
今からじゃちょっと遅いので、家に帰ろう!

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