更新日2004/11/30
能登へ
前日に車のタイヤを新品に交換した休日、曇天の中、能登方面にドライブに出かけた。
目的は小竹ガラボウ山、二宮行人塚、千野古墳群、鳥屋古墳公園、高木森古墳である。
まず、小竹ガラボウ山を探す。
小田中親王塚を過ぎ、水白鍋山古墳を過ぎて、小竹地区の「スーパーマルシェ鹿島店」跡地の後あたりにあるらしいが、見つからない。
駐在所があったので、たずねたら、ここから200m程金沢よりのところに「スーパーマルシェ鹿島店」があると教えてくれた。
この駐在所は小竹地区のとなりの井田地区にあるということである。
御礼を言って少し戻ると、大きな「スーパーマルシェ」の看板があるではないか!二人とも大きな看板を見逃したらしい。
その跡地のうしろに小山が・・・・「あれだ!」
小竹ガラボウ山古墳 | 中能登町(旧鹿島町)小竹 (撮影日2004/10/11) |
水白鍋山古墳の北東約400mに位置する。
小竹ガラボウ山全景(西側より)
案内板には径約20m、高さ8mの円墳(横穴式石室)で古墳時代後期に造られたとある。
しかし「日本の古代遺跡 石川」編には、
全長約48mの前方後円墳で5世紀前半の築造とされている。
墳丘の様子(東側より)
小さな祠があり、石材らしい石が露出している。
須恵器大型壺・家型埴輪の断片が出土。
空には青空が広がり、まぶしくなってきた。
帽子を持って来なかったことを悔やみながら、二宮行人塚を探します。
石動山登山口へ行く道に天日陰比盗_社がある。そこへ行く途中の田んぼの中にあるという。
天日陰比盗_社の前に車をとめて、周辺を歩くと大きな石が見えた。
二宮行人塚古墳 |
中能登町(旧鹿島町)二宮 |
天日陰比盗_社の西100m位の道沿いに案内板がある。
二宮行人塚(二宮1号墳)
盛土の大部分が、削平、流出して
横穴式石室の天井石の一部が露出している。
二宮2号墳の場所はわからなかったが、昭和45年に発掘調査された。
石室は8.7m、直刀1、鉄鏃3、須恵器6などが出土したが盗掘でほとんどが持ち出されていた。
この古墳の特徴は、石室が地山を掘り込んで構築されていること、
石室の幅が80〜100cmと狭く、県下の横穴式石室でも異例のものである。
近江の依智秦氏の里古墳公園の竪穴系横口式石室というのは
地山を掘り込んで構築され、玄室床面が羨道より低い構造になっているのだが、
何か関連があるのだろうか??
能登二宮 天日陰比盗_社
祭神は草木や建造物の守護神である
「屋舩久久能智命(ヤフネククノチノミコト)」と「大己貴命(オオナムチノミコト)=応神天皇」。
二千百余年の歴史を持つ延喜式内社で、鎌倉時代に能登国二宮となった。
61年ごとに羽咋鹿島両郡市の諸難退散祈願祭がある。
お昼になったので、ALPLAZA鹿島でラーメンを食べて、千野古墳に向かう。空は快晴となっている。
松任図書館に「千野古墳群発掘調査報告書」が置いてあり、千野古墳の存在を知って、見に行きたいねといっていた。
発掘後は埋め戻すと書いてあったので見れるのか不安だった。
国道159号線から東の山裾の七尾市千野地区に入り、
農作業しているおばあちゃんに「昔のお墓がこのあたりにないですか?」とたずねたところ、
「あそこに見える家のそばにあるらしい」と教えてくれた。
確かに「あそこに見える家」は「千野古墳群発掘調査報告書」に写っていた家だ。
千野古墳群 | 七尾市千野町 (撮影日2004/10/11) |
千野1号墳
田んぼの真ん中にあるのでそばにはいけない。
石材が露出しているようだ。
千野1号墳石室(発掘調査報告書より)
2号墳は基底部しか残っていない。
石室調査結果
千野古墳 | 1号墳 | 2号墳 |
全長 | 5.42m(現存値) | 8.7m |
玄室長 | 4.7m | 4.5m |
玄室幅 | 1.35〜1.5m | 1.3m |
羨道幅 | 1.25m | 1〜1.2m |
特徴 | 右片袖式 | 左片袖式 |
1・2号墳は近接して造られており開口方向がほぼ同じであるので、計画性をもって造られたと考えられている。
築造年代については、千野廃寺との関連が考えられているが、これからの課題ということだ。
さあ次は高木森古墳だ。
千野の集落からそのまま北へ。
南ヶ丘ニュータウンという新しい住宅地を通り、七尾市矢田地区に向かう。
以前高木森古墳を探したが、見つからなかった。今回は見つかるだろうか。
かなり、うろうろして、住宅地に囲まれた高木森古墳を発見!
高木森古墳 矢田古墳群 |
七尾市矢田 (撮影日2004/10/11) |
高木森古墳実測図
高木森古墳入口
全長58.2mの前方後円墳。
5世紀末〜6世紀初頭の築造と推定されている。
高木森古墳全景
見えるのが後円部
後円部の向こうに前方部がある。
埋葬施設は 徹底的な盗掘を受けて形もかなり破壊されて、
石室基底部を残すだけだったが、竪穴式石室と考えられている。
「日本の古代遺跡 石川」編」より
くびれ部の上には葬送儀礼に使われたと考えられる祭壇状遺構があり、
須恵器(器台・子持ち壺・壺)や土師器が打ち割られた状態で出土した。
このような祭祀遺構は七尾市温井15号墳や小竹ガラボウ山でも確かめられており、
5世紀後半頃の能登における墓前祭儀の一端を示している。
時間は3時過ぎた。矢田丸山古墳も探したいが、あきらめて鳥屋古墳公園に向かう。
夏ごろ、鳥屋古墳公園の記事が新聞に掲載され、その存在を知った。
川田古墳群が発掘調査されたのは知っていたが、そこが整備されて公園になっているとは!!!
通称「西往来」の道路の廿九日(ひづめ)地区から西へわき道に入り、山の裏側に、大池を中心にしたきれいな公園があった。
川田ソウ山1号墳 川田古墳群 |
中能登町(旧鳥屋町)川田 (撮影日2004/10/11) |
住所は中能登町となるが七尾市の古墳とくっついている。
鳥屋古墳公園 説明板から
大池の周りには遊歩道が整備され、白鳥型のボートが浮かぶ。
古墳はソウ山支群の川田ソウ山1号墳が現状保存されている。
川田ソウ山1号墳
前方部から後方部を見る。
全長56mの前方後方墳
5世紀初頭の築造
川田ソウ山1号墳の前の案内図
幅広の後方部がおもしろい、ちょっと不思議な形の古墳だ。
現状保存のため、全体を写すのは難しい。
この1号墳を囲むようにして、2号墳・4号墳・6号墳・7号墳・8号墳がある。
中能登町の地図y
今日の予定はこれでおしまい。
中島町のヤマンタンにも行きたかったが、時間の都合上ダメでした。
なお、小竹ガラボウ山、二宮行人塚の場所のデータはHP「ふぁんふぁんの部屋」から頂きました。
ありがとうございました。