北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2021/12/7


真脇遺跡
国指定史跡
鳳珠郡能登町真脇
2021/9/25

三十数年前は、田んぼで、出土遺物は、発掘現場のプレハブの中で展示されていた。
現在は史跡公園として整備されていて、真脇遺跡縄文館がある。
縄文館は、まんぼうのため休館中。
10月1日から開館すると入口に書かれていた。
真脇遺跡のホームページがあるので、参考にさせてもらった。

 真脇遺跡は、北陸最大級の縄文時代遺跡
 富山湾に臨み、三方を丘陵に囲まれた小さな入り江の奥の沖積平野に位置している。
 縄文時代前期初頭から晩期終末のものまで途切れることなく遺物・遺構が出土していることから、
 およそ4000年もの間この地で人々が継続的に生活していたということがわかる。
 遺跡からは通常は残りにくい木製品や、動物の骨、植物の種子などが非常に良好な状態で出土
 とくに前期末葉から中期初頭にかけての地層からは大量のイルカの骨が出土した
 特殊なものとして、
  墓穴の中に板を敷いてから遺体を埋葬した「板敷き土壙墓
  まったく同じ場所で6回も炉を作りかえていた「貼床住居址
  クリの丸太を半分に割り円形に並べて立てられた「環状木柱列
 イルカ骨と一緒に出土したトーテムポールのような木柱が、
  イルカ漁に関する儀式に用いられた可能性が考えられるとして注目されている。
 “おさかな土器”の愛称で親しまれている真脇式土器は、
  真脇遺跡の調査で初めて全形がわかった北陸独特の土器だが、
  同時期に似た土器が関東や、遠くは秋田県のあたりまで出土しており、
  交流があった可能性が考えられている。

 以前から土師遺跡という遺跡が存在していたが、
 1980年の遺跡の分布調査で、縄文時代の遺跡であることが判明した。
 1982・83年の発掘調査で、多くの貴重な遺構や遺物が出土、
 1989年に、国指定史跡
 1991年に、出土遺物のうち219点が国の重要文化財に指定。
 1997年からは史跡整備のため調査を再開して、整備が進められている。
   (真脇遺跡のホームページから)

真脇遺跡縄文館
「日本漁業発祥の地」の石碑もある。

現在の真脇遺跡

大きな広場になっている。

縄文時代の建物が復元されている

「板敷き土壙墓」が復元展示されている。

 「板敷き土壙墓」
 縄文時代中期前葉〜中期中葉にかけて縄文人が近くから土を運び込んだ、
  厚さ35〜50cmに整地した地層に、4基の土壙墓が検出された。
 4基の内、1・2・3号土壙墓の底に大きな板が敷かれていたことから、
  「板敷き土壙墓」と呼ばれている。
 土壙墓の平面形は不整楕円形で、
  長径140〜150cm・短径100〜130cm・深さ35〜50cmで、
  ほぼ東西南北の方向に配置されている。
 3号土壙墓には土壌化が進んだ骨が遺存していた。
  頭骨は左向きで足を強く曲げた状態(横臥屈葬)で埋葬されていた。
  歯列の構成、咬耗の程度及び下肢骨の大きさ等から、
  壮年期(20〜30代)の男性と推定されている。
 放射性炭素年代測定法の結果から4520〜5200年前につくられたものと考えられている
 当時の集落の中心に位置し、ムラのリーダーが埋葬されたものと考えられている。
    (説明板から)


遺構検出全景
  (南方向から)

(説明板から)


1号土壙墓
(西方向から)
2号土壙墓
(西方向から)
3号土壙墓
の人骨
木柱根1
(東方向から)
木柱根2
(東方向から)

(説明板から)

木柱3本の復元 下に土壙墓

4基の土壙墓

「環状木柱列」が復元展示されている。

 「環状木柱列」
 縄文時代後葉の遺構。
 クリ材を使い、丸太の芯を外すように割り半割柱に加工し、
  割った面を外側に向けて立てている
のが特徴。
 平面形はほぼ真円で、柱は線対称に配置し、10本ないし8本の柱が立てられている。
 ときには6本の場合もある。
 また、2本の柱を利用し、入口とみられる施設(門扉状遺構)が作られる場合がある。
 おもに石川県と富山県に多く確認されている。
 真脇遺跡では、
  ほぼ同じ場所で6回立て替えられているA環と呼ばれる環を構成している木柱根が最大で、
  構成している全ての木柱根が出土。
 木柱列は、石川県金沢市の新保本チカモリ遺跡や
  富山県小矢部市の桜町遺跡などからも見つかっているが、
  北陸独特のものであり、真脇遺跡で見つかったものも非常に重要なもの。

A環 配置図
 (説明板から)
直径7mの平面形に
 最大幅71〜98cm
 厚さが18〜37cmの
 木柱が10本使われている。
南側に位置する2本の柱を利用して
 門扉と三角柱で構成される
 門扉状遺構が作られている
門扉は厚さが14.6cm〜16cmで、
 「ハ」の字状に配置されている。
 このA環が作られた年代は、放射性炭素年代測定法から
    約2800年前に作られたものと考えられている。

A環出土状況
 (西方向から)

(説明板から)

木柱1 (東方向から)
 

木柱2 (南方向から)
 

木柱3 (南方向から)

 門扉状遺構(左から三角柱、門扉、半割柱)
(説明板から)

木柱列復元 

門扉状遺構から見る

すっかり公園化していて、びっくりでした。
お弁当持って来て、芝生広場で食べて、縄文館を見学できれば、最高でした。


のと鉄道旧小木駅そばに、観光交流施設「イカのえきつくモール」ができた。
敷地内には、大きなイカのオブジェがある。

イカキング

全長13m
全幅9m
高さ4m
重さ 約5t
事業費約三千万円は、
 新型コロナウイルス感染症対策の国の地方創生臨時交付金を活用したということで、
 賛否両論があるオブジェである。

四ツ塚古墳群

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