北村さんちの遺跡めぐり

志賀町  地図g    

徳田燈明山古墳
(徳田1号墳)

志賀町字徳田小字北側
撮影日2005/9/24
2014/7/30

通称「燈明山」とよばれている丘陵上に前方後円墳がある。

2005年の徳田燈明山古墳


徳田燈明山古墳 
前方部先端より後円部を望む



前方後円墳 全長83.5m

2005/9/24


徳田燈明山1号墳 後円部真後ろより


築造年代は
  七尾市国分尼塚と中能登町雨の宮1号墳の間(4世紀代)
     
と考えられている。

2005/9/24

後円部の端がひどくえぐれているのは盗掘の跡だろうか?

徳田燈明山古墳実測図

後円部径約52.5m・高さ約6.5m
前方部長さ約31.5m・同先端部約37m。
クビレ部幅約22m。

二段築製
葺き石があったが、道路を作るためにほとんど使われた。
埴輪なし。



2014年の徳田燈明山古墳

前方部側の登り口に、説明板が立てられていると知り、再訪。



前方部への登り口に立てられた説明板

いつ立てられたのだろう?
説明板によると
全長81mの前方後円墳
 後円部径50m・高さ6.5m
 前方部長さ31m・高さ4m
2段築成 葺石あり
4世紀前半の築造と推定  とある。
 石川考古学会会誌「徳田燈明山古墳測量調査報告抄」によると
  全長83.5mの前方後円墳  保存状態は良好。
   後円部裾部径52.5m 同頂部径22m 同高さ6.5m
   前方部長さ31.5m 同先端部幅37m+α 同頂部幅12m 同高さ6m(見学した感じでは、上の項の4mが正しいと思う)
   くびれ部裾部幅22m 同頂部幅10m 同高さ2m 
   後円部頂部とくびれ部の比高差3m 前方部先端部頂部とくびれ部頂部の比高差0.7m
  テラスが全周する2段築成
  前方部先端がバチ形に開く可能性がある。
  葺石あり(昭和20〜30年代に道路普請のためにほとんどを搬出)
  埴輪なし

  北に位置する2号墳との鞍部部分を削平して、後円部に盛り上げ、前方部先端は丘陵先端切り取りで整形している。
  くびれ部が古墳築造前の丘陵頂部と判断されている。
  七尾市国分尼塚古墳の後、鹿西町の雨の宮1号墳以前の築造と推定されている。

徳田燈明山古墳前方部先端
この奥に後円部がある

前方部斜面に葺石か
葺石はほとんどなくなっている。

くびれ部から見た前方部
前方部は木が少し整理されたようだ

前方部から後円部を見る
後円部はジャングルで入り込めない・・・

徳田古墳群
 徳田古墳群は徳田燈明山古墳(1号墳)のほか、
 小さな前方後方墳1基(13号墳)・小さな前方後円墳2基・方墳4基(12・14・19・20号墳)と円墳15基があり
   徳田大津ICの近くに1基(24号墳−形・大きさがわからないので点線の円で表わしておきます)
 大津川をはさんで向かい側の山裾には円墳1基(25号墳)が確認されている。

          徳田古墳群配置図(25基) 


1号墳 前方後円墳 全長83.5m  
2号墳 円墳 径33m・高さ5m  
3号墳 円墳 径17m・高さ2m  
4号墳 円墳 径14.5〜10m・高さ1.3m  
5号墳 円墳 径26m・高さ1.7m  
6号墳 円墳 径11.5〜10m・高さ1.5m  
7号墳 円墳 径16m・高さ2m  
8号墳 円墳 径15.5m・高さ2m  
9号墳 円墳
帆立貝型前方後円墳か?
径20〜18.5m・高さ2.5m  
10号墳 円墳 径14m・高さ1m  
11号墳 方墳 辺12m・高さ2.5m  
12号墳 方墳 辺8×8.5m・高さ0.5m  
13号墳 前方後円墳 全長31.8m  
14号墳 方墳 辺12×9m・高さ1.7m  
15号墳 円墳 径19.5m・高さ1.3m  
16号墳 前方後円墳 全長55m  
17号墳 円墳 径20m・高さ2.0m 弥生土器
18号墳 円墳 径17〜12.5m・高さ1.3m  
19号墳 方墳 辺10×18m・高さ1.5m  
20号墳 方墳 辺10m・高さ2m  
21号墳 円墳 径12m・高さ1m  
22号墳 円墳 径12m・高さ1.7m  
23号墳 前方後円墳
土取りにより一部消失
全長約30m  
24号墳 円墳 径30m・高さ5m  
25号墳 円墳    

穴口古墳群

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