北村さんちの遺跡めぐり
更新日2021/2/2

志賀町 地図g

矢田遍照ヶ嶽夫婦塚古墳 羽咋郡志賀町印内
撮影日2020/10/6

「志賀町史」に説明が書かれていたので、引用させてもらう。

山道の脇にあるが、現地はジャングルで、まともな写真は撮れなかった。
人の目で見ると、石室が確認できる。

 印内集落の北方、通称遍照ヶ嶽(標高146.7m)の頂上付近から
  南に派生した丘陵斜面(標高130m前後)に立地する。
 夫婦塚と呼ばれてきた2基の円墳は、古くから地元の人々に存在が知られていた。
 明治末ごろ発掘されて、
  直刀1、勾玉1などの副葬品が出土したといわれているが、所在は不明。
 昭和29年に学術的な調査がなされた。
 古墳に面して右側のものが1号墳、左側のものが2号墳と命名されている。
 いずれも楕円形に近い円墳で 
  築造当時は、高さは少なくとも3m以上はあったと考えられている。
 南に開口する横穴式石室がある
 石室は盗掘により著しく破壊されているが、
  玄室と羨道の明確な区別はなく、入口に近くやや幅を狭めるだけの型式と考えられている。
  間仕切り石など特別な施設も検出されていない。
 昭和29年の調査では、出土品は全くなかったが、
  石室の規模や構造は、比較的旧状をとどめていて、この構造から、
  6世紀終末ごろ〜7世紀前半の築造と推定されている。

夫婦塚図 

1号墳  長径(南北)12.2m・短径10.4mの円墳 
   現高1.3m
 石室全長5.3m
 側壁高さ1.2m 羨門部幅0.8m
  奥壁幅0.9m
2号墳  長径(南北)12m・短径10.7mの円墳
   現高1.5m
 石室全長5.8m
 側壁高さ0.82m 羨門部幅0.64m
  奥壁幅0.82m

(志賀町史から引用)


このジャングルの中に、
 石室がかなり破壊された状態で
 残っているようだ。
墳丘自体は確認できない

石材その1

石材その2

石材その3
2号墳の天井石は、
400kgの巨石が1枚使われているという。

中央が奥壁なのだが、見えない…

写真を見ても、何がなんだかわからない…。

倉垣丸山古墳

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