北村さんちの遺跡めぐり
更新日2016/10/23

石川県埋文センター

小松市八日市地方遺跡
2016/7/27・8/20

2016年夏から秋の、地元・石川の話題。

石川県埋蔵文化財センターにて 金沢市中戸町
撮影日2016/7/27

金沢市の地図g

2016年7月10日「小松市八日市地方遺跡(ヨウカイチジカタイセキ)」の現地説明会があったのだが、
 行けなかったので、現説資料を貰うために石川県埋蔵文化財センターへ行く。
埋文では「色へのあこがれ・昔人の色彩世界」という企画展が開かれていた。   (期間 2016/7/15~9/4)
 色をテーマに企画されたいろいろな資料を見学した。

常設展示も含めて、私の個人的な視点から、展示物の一部を紹介。
ガラス越しのはっきりしない写真だが、
 いろいろな遺跡から色々なものが出土していることに注目した。

 展示の様子
 土器の展示

赤彩高坏 弥生時代
志賀町 鹿モリガフチ遺跡
漆塗注口土器 縄文時代
金沢市 米泉遺跡
赤彩高坏(坏部) 弥生時代
志賀町 鹿首モリガフチ遺跡
漆塗土器片 縄文時代
金沢市 米泉遺跡
藍胎漆器片 縄文時代
志賀町 鹿首モリガフチ遺跡
赤彩高坏 弥生時代
野々市市 二日市イシバチ遺跡
赤彩鉢 弥生時代
志賀町 鹿首モリガフチ遺跡
赤彩無頸壺 弥生時代
金沢市 大手町遺跡
赤彩高坏  古墳時代
小松市 千代・能美遺跡
同上
暗文のある赤彩碗 古代
かほく市 指江B遺跡
同上
赤彩多口瓶  古代
小松市 浄水寺遺跡
内黒外赤土師器 古代
小松市 浄水寺遺跡
内黒土器皿 古代
中能登町 武部ショウブダ遺跡
両黒土師器椀 古代
小松市 浄水寺跡
内黒赤土土師器 古代
小松市 浄水寺跡
黒色土器とは
  内面、または内外面にススを付着させて水漏れを防いだもの。
  器表面を磨くなど、作りが丁寧なので普通の土師器よりもやや高級品と言える。
  外面に赤彩が施されるものも多く、特別な器として使われることが多かったようだ。
 金属製品

耳環(銅芯銀板張鍍金)
白山市 道村B遺跡
銅環
かほく市 指江B遺跡
銅鏡
羽咋市 四柳白山下遺跡
シチ鏡片
羽咋市 吉崎次場遺跡
銅釧
金沢市 南新保C遺跡
耳環(銅芯金板張)
七尾市 ヤマンタン25号墳
耳環(銅芯金板張)
珠洲市 大畠南古墳群
耳環(銅芯銀板張鍍金)
金沢市 畝田・寺中遺跡
耳環(銅芯銀板張鍍金)
金沢市畝田・寺中遺跡
耳環(錫)
金沢市 畝田・寺中遺跡
  すべて古墳時代のものだ
 ガラス製品


ガラス小玉  古代
羽咋市 寺家遺跡
ガラス丸玉 弥生時代
津幡町 倉見オウランド遺跡
ガラス玉  古墳時代
金沢市 戸水C遺跡
ガラス玉  古墳時代
小松市 八幡2号墳
ガラス小玉 ガラス丸玉・臼玉 古墳時代
七尾市 ヤマンタン25号墳
ガラス小玉
ガラス丸玉  古墳時代
金沢市 畝田・寺中遺跡
ガラス丸玉・小玉 古墳時代
加賀市 黒瀬御坊山A1号墳
 石製品

1 大珠  縄文時代
金沢市 北塚遺跡
9 火打石  近世
小松市 大川遺跡
18 管玉  古墳時代
金沢市 戸水C遺跡
2 勾玉  縄文時代
七尾市 大津くろだの森遺跡
10 水晶原石  近世
金沢市 木越光琳寺遺跡
19 管玉  古墳時代
七尾市 ヤマンタン25号墳
3 勾玉  弥生時代
白山市 八田中遺跡
11 水晶加工品  近世
金沢市 木ノ新保遺跡
20 管玉  弥生時代
金沢市 吉原七ツ塚墳墓群
4 勾玉  弥生時代
白山市 八田中ヒエモンダ遺跡
12 切子玉  古墳時代
かほく市 指江B遺跡
21   中世
輪島市 中ワナミマエダ遺跡
5 勾玉  古墳時代
七尾市 ヤマンタン25号墳
13 琥珀原石  縄文時代
七尾市 三引遺跡
22 石帯  古代
金沢市 戸水C遺跡
6 勾玉  古墳時代
かほく市 指江B遺跡
14 琥珀製棗玉  古墳時代
七尾市 三室まどがけ古墳群
23 石帯  古代
小松市 漆町遺跡
7 勾玉  古代
羽咋市 寺家遺跡
15 琥珀製勾玉  古墳時代
金沢市 畝田・寺中遺跡
24 石帯  古代
能美市 徳久・荒屋遺跡
8 勾玉  古墳時代
七尾市ヤマンタン25号墳
16 合子  古墳時代
小松市 一針C遺跡
25 石帯  古代
中能登町 武部ショウブダ遺跡
17 勾玉  古墳時代
加賀市 黒瀬御坊山A1号墳

 

 
宝達志水町宿東山1号墳出土


左 方格規矩鏡

右 方格規矩鏡復元品


管玉 志賀町町指定文化財
 山王丸山遺跡出土


一般的な緑の管玉の間に赤い管玉がある。 

SK32と呼ばれる土壙墓から出土

 山王丸山遺跡は縄文時代から中世にいたる集落遺跡。
 弥生時代中期から後期の 方形周溝墓や土壙墓群が見つかった。
 赤彩された土器の他、土壙墓から多くの管玉が出土。
 鉄石英製の赤い管玉が多く出土するのが特徴。
 佐渡島や能登では赤い管玉が製作されていた。

   

 加賀牓示札 カガポウジフダ
 平成12年、加茂遺跡(河北郡津幡町舟橋・加茂)から出土した、平安時代の「お触れ書き」
 嘉祥(カショウ)年間(848~851)に、
  加賀郡役所から出された文書を木札に転写し掲示したもので、
  農業の奨励に関わる命令や禁止事項が書かれている。
 縦23.7cm、横61.3cm、厚さ1.7cmで、上・下端を欠いている
 文字は墨によって楷書で書かれていて、本文27行、349文字が確認できる。
 墨の文字そのものはほとんど確認できないが、
  墨の持つ防腐作用により、字画部分が風化を免れ、
  周囲より盛り上がった状態で残ったため、判読が可能となった。
 平成22年に重要文化財に指定された。
 古代の牓示札として唯一の資料であり、
  古代国家の農業奨励政策や命令伝達の方法を具体的に知ることができる。
 古代の法律で定められた文書の書式に従って書かれていて、七つの部分から構成されている。
  ①事書 ②8か条の禁令 ③加賀国府の命令 ④加賀郡符の本文
      ⑤加賀郡司の署名 ⑥施工年月日 ⑦受取日・受取者の署名 
 書かれた内容は
  加賀国が発した農業奨励などに関する命令を受けて、加賀郡役所が郡内の関連施設に出した命令文書
  農業の奨励を目的とした、農民らへの行動規範ともいうべきもので、8か条の禁令を告知している。
  禁令の内容については田領等が村を廻って口頭で通知するよう指示している。
  また路頭に掲示すべきとの指示もあることから、一定期間屋外に掲示されていたものと思われる。

加賀牓示札
 加茂遺跡
  金沢市の北に接する河北郡津幡町にあり、河北潟の東縁の低地に立地。
  加賀牓示札は、国道8号津幡北バイパスの改築にともなう発掘調査で出土。
  調査の結果、奈良平安時代の遺跡があり、
     古代北陸道、河北潟に流れ出している大溝、掘っ立て柱建物群、井戸、柵などが確認されている。

 出土遺物は、和同開珎、銀銭、帯金具、瓦などのほか、木簡、墨書土器などがある。

この加賀牓示札が発見されたときは、地元で大ニュースとなり、
 私たちも見学に行ったが、あれからもう16年経ってしまっているんだなぁ。

埋文センターの敷地内には2つの古墳石室が移築されている。

 那谷金比羅山古墳の横口式石槨 小松市那谷
 直径10mの円墳
 那谷丘陵の南斜面につくられている。

測量図 (説明板から)

凝灰岩の切石を組み合わせた
 横口式石槨
がある。
 石槨の内部は、長さ1.64m・幅0.89m・高さ0.8mと狭く、
  一人だけを埋葬するために造った施設と考えられている。
 調査の時点ですでに天井石はなかった。
 古墳時代終末期(8世紀初頭)の築造と推定されている。
 同じ形態の石槨は、大阪府ヒチンジョ西古墳、奈良県高松塚古墳、マルコ山古墳などで見られ、
   河内飛鳥をルーツとする横口式石槨が南加賀に伝わったものと考えられている。

横口式石槨正面

横口式石槨 背後から
 那谷金比羅山古墳は消滅、跡地は森林組合の工場となっている。

 

 八幡2号墳の木芯粘土室 小松市八幡
 直径13mの円墳

測量図 (説明板から)

古墳時代後期の
木芯粘土室と呼ばれる南加賀地方特有のもの
で、
古墳の中心部に木材で骨組みをつくり、
粘土で覆った墓室であったことが確認された。
 焼土や炭化材が多く出土していて、内部に火がかけられたことを示している。
 遺体は残っていなかったが、
  入口付近に土師器の碗や須恵器の杯、壺、提瓶などがまとめて副葬されていた。
 遺存状態がきわめて良好だったので移築保存。

木芯粘土室入口側から

木芯粘土室 背後から



埋蔵文化財センターの庭には
  縄文時代の竪穴住居
  弥生時代の平地式住居
  登り窯などが復原されている





復元古窯

古墳時代中期(5世紀)から奈良・平安時代にかけて、
須恵器を焼いた穴窯をモデルに復元


登り窯では実際に
焼き物体験などが行われているようだ。
    

上野八幡神社
牛坂古墳群
金沢市小立野
撮影日2016/7/27

石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」に載っている古墳群。

  「加賀志徴」等の文献によれば、
  上野八幡神社に古墳が2基あり、周溝もよく遺存していたと記録されている。
 さらに、周辺には多くの塚があると記されていて、
  かなりまとまった古墳群が形成されていたことが窺える。
 現在は神社、金沢大学工学部(跡地)、住宅地となって、古墳の所在は全く不明
                            (「分布報告書」から抜粋)

上野八幡神社社叢


背後は児童公園となっている。
 上野八幡神社
 約400年間の神仏混淆の時代、医王寺と呼ばれていた。
 天正年間(1573~92)、石動山天平寺の僧・空山が
  後の加賀藩初代藩主・前田利家に内通し、石動山の麓に建立したと伝えられている。
 天正14年(1584)、利家が金沢に移転した後、
   文禄2年(1593)、金沢の山崎郷(小立野白山町)に移転した。
 享保16年(1731)、現在地に遷座し、明治5年(1872)、村社となる。
 境内には芭蕉句碑がある。
 秋祭りの餅つき踊りは金沢市無形文化財に指定されている。    (説明板から)

神社の境界のカーブ
前方後円墳の痕跡かと思ってしまうが、
根拠はない・・・・・

金沢大学工学部ができる前は、いくつかの墳丘が見られたという・・・。
現在、金沢大学工学部は角間に移転、敷地は高い柵に囲まれていて入ることができない。
県立図書館ができる予定だ。


小松市八日市地方遺跡 小松市土居原町・日の出町
撮影日2016/8/20

2016年7月10日に八日市地方遺跡の現地説明会が行われたが、行きそびれたので、
石川県埋蔵文化財センターに現地説明会資料を貰いに行ってきた。

現地にも見学に行こうと思っていたところ、
2016年8月16日付の北陸中日新聞に「小松駅の八日市地方遺跡 発掘調査を公開」という記事が掲載された。

 古代ロマンちらり  「小松駅の八日市地方遺跡 発掘調査を公開」

 発掘調査が行われているJR小松駅東口の八日市地方遺跡に、
  調査を見ることができる透明のアクリル板付きフェンスが設置され、駅利用客の注目を集めている。
 お盆シーズンには、古代ロマンに見入る多くの帰省客や観光客の姿が見られた。

 フェンスは高さ2mで、中央をくりぬき透明のアクリル板がはめ込まれているほか、
  一部のフェンスは全面透明になっており、駅とロータリーをつなぐ通路から発掘現場を見下ろすことができる。
 総延長は約40mで、7月下旬に設置された。通路には遺跡の歴史を解説するパネルも置かれている。
 調査は北陸新幹線の延伸に伴う高架橋工事を前に行われている。

 遺跡から出土した碧玉製の装飾品「管玉」に代表される小松市の石文化の発信を狙い、
  小松市が工事主体の鉄道建設・運輸施設整備支援機構に透明なアクリル板の設置を依頼した。
 調査は来年2月中旬までを予定している。
                      (北陸中日新聞から抜粋)

これは見学に行かなければならない!

小松市の地図g

 八日市地方遺跡について
  小松市土居原町及び日の出町地内(現在のJR小松駅東側一帯)に所在し、
   推定面積15万㎡を超える北陸地域を代表する弥生時代中期の大規模な環濠集落。

調査の位置
 八日市地方遺跡  遺構概略図  (現説資料から)

 過去の発掘調査
 八日市地方遺跡は戦前から知られていて、これまで多くの発掘・試掘調査が行われてきたが、
 平成5年(1993)度から12(2000)年度の発掘調査では
  平地建物、掘立柱建物、井戸などで構成された居住域、
  居住域に隣接して築かれた方形周溝墓を主体とする墓域、
  居住域を取り囲むように掘られた多重の環濠が確認されて、
  数十万点の出土品が見つかり、そのうち1020点が国の重要文化財に指定された。
 平成27年(2015)度から、北陸新幹線に係る発掘調査を開始。
 27年度はB区の発掘調査
 弥生時代中期の大規模環濠集落として著名な八日市地方遺跡だが、
  A区・B区では室町時代14世紀)の井戸5基や区画溝などが見つかっている
 全ての井戸では、湧水による壁面の崩壊を防ぐため、水溜に曲げ物を設置している。
 大規模な削平を受ける前は井戸の周辺に掘立柱建物などの施設が存在していたと推測されている。

 

 B区  平成27年度の調査区の公開

新聞記事となった
 小松駅東口の発掘現場・B区



今年の現説はここではなくて、
   この北隣りのA区。

アクリル板の向こうは発掘現場

発掘調査の様子

この北側に、28年度調査区の「A区」がある。

 A区  28年度調査区
 遺跡の北西端にあたる。
 近世以降の構造物などで一部損壊していたが、
  ほぼ全面に弥生時代中期の墓域がひろがることが確認された。
 墓域は15基程度の方形周溝墓を主体としており、
  埋積浅谷(旧河道)の右岸域に大規模な墓域の存在することが明らかとなった。
 検出された方形周溝墓は、
  墳丘長辺が4m程度の小型墓から15mを超える大型墓まで、さまざまな規模のものが見られる。

 これらの方形周溝墓は、A区南半部に密集していて、
  周溝を重複させ連接的に築かれた(例えばZS4・7・8やSZ1~5)ものが多く確認されている。
 SZ6と名付けた方形周溝墓は、墳丘の長辺が15mを超える規模で、
  八日市地方遺跡のなかで最大の周溝墓となる。

A区全景

A区南端の方形周溝墓SZ1・SZ2

このページを作っているときに、また八日市地方遺跡の記事が北陸中日新聞に掲載された。

 「北と西 2種の石斧と判明」
 八日市地方遺跡で、
  弥生時代における北の文化と西の文化の交わりを示す2種類の石斧が出土したことが分かった。

 それぞれ国内遺跡の最南端、最東端を更新する発見になる。

 石斧は「三面石斧」と「層灰岩製片刃石斧」で弥生時代前期から中期にかけての地層で見つかった。
 三面石斧は、これまで北海道や東北北部の遺跡でしかみつかっておらず、
  秋田市の地蔵田遺跡での発見が最南端だった。
 層灰岩製片刃石斧は、九州北部を中心に見つかっていて、
  これまで鳥取市の松原田中遺跡での発見が最東端だった。
           (2016年10月20日の北陸中日新聞から抜粋)

小松市の石文化は、今年(2016)、日本遺産に認定されていて、力が入っている。
(詳しくは「こまつ 珠玉と歩む物語」というHPをご覧ください。)

加賀の遺跡のトップ

トップページ