北村さんちの遺跡めぐり
掲載2013/9/28

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和田山23号墳出土の須恵器に刻字
日本最古
石川県能美市
2013/9/20の新聞から

2013年9月19日、石川県能美市教育委員会は
「和田山古墳群」の和田山23号墳から出土した古墳時代中期(5世紀末)の須恵器2点から文字が刻まれている
ことを確認したと、発表した。
和田山古墳群は、石川県能美市の平野部に点在する「能美古墳群」のひとつ。
3世紀後半〜6世紀前半に築造された前方後円墳や円墳など計23基が確認されている。
うち19基が現存。北陸では唯一、六鈴鏡や鈴付銅釧が出土している。
隣接の末寺山古墳群とともに、「和田山・末寺山古墳群」の名称で、国史跡に指定されている。



南から見た和田山23号墳
(復元整備)

左奥は3号墳。

(撮影日2011/12/14)

23号墳径22.5mの低い円墳。
1977年(昭和52年)に発見され、周溝の一角におびただしい須恵器が整然と置かれていた。
 
和田山23号墳(杯塚) 
      周溝内の須恵器の出土状況

 
(説明板から)
     (撮影日2011/12/14)

有蓋高坏46個体が四角く並べられ、その上に脚付壷、ハソウ(胴部に穴のあいた小壺)を乗せた器台が置かれていた。
有蓋高坏は、異なる六つの工人集団によってつくられたもので、
大阪の陶邑窯(スエムラガマ)など遠隔地から運ばれたものも含まれている。
葬送のまつりに関係した祭壇と考えられるが、こうした出土状態に例がない。
5世紀末の築造と推定されている。    (和田山23号墳前の説明板から)  

「未」の刻字のある小型つぼは高さ15.3cm。
胴体部分ほぼ中央に縦横2cmの範囲に刻まれている。
「未」は十二支のヒツジを表わし時刻や方位を示す文字だった可能性がある。
「二年」の刻字のある有蓋高坏(皿に脚を付けた盛りつけ用の土器)
ふたに縦1.3cm・横3.5cmの範囲に刻まれている。

「二年」もなんらかの時を示していると考えられている。
   (つぼの写真は能美市教育委員会提供)

これらの文字は、先端が細い道具で、土器を形作ってから乾燥するまでに書かれたと推測されている。
文字が刻まれた最古の須恵器は堺市と滋賀県野洲市で1点ずつ出土しているが、製作年代はいずれも6世紀ごろだった。
今回の確認で5世紀終わりにさかのぼることとなった。

ふたつの須恵器は1977年の発掘調査で出土して、つぼの刻線は文字の可能性が指摘されていたが、
2011年に市が出土品を再調査した結果、新たに「二年」と読める刻線がふたに見つかり、専門家に鑑定を依頼していた。

須恵器は能美市立博物館で、9月21日〜10月27日に特別展示される。
       (北陸中日新聞から)

   和田山古墳群のページ

能美市・小松市の地図g


おわり

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