北村さんちの遺跡めぐり
更新日2011/4/27
加賀の遺跡めぐり 誰も知らない遺跡かも・・・・ |
徳光聖興寺跡 |
白山市徳光 |
現在、加賀の千代の遺品などを納めた遺芳館がある白山市中町の「聖興寺」は、
元は白山市徳光にあった。
海岸近くの田んぼの中に史跡として残されている。
「徳光聖興寺跡」と刻まれた立派な石碑。
撮影日2011/2/23
明応3(1494)年に創建されたと伝えられている。地頭徳光氏の館跡に接している。
この後 宮保に移り、その次に現在の場所に移った。
徳光聖興寺跡
撮影日2012/3/3
徳光聖興寺跡
撮影日2012/3/3
地図g
鉢伏茶臼山古墳 |
かほく市鉢伏 |
石川考古学研究会会誌に記載されたかほく市の古墳の探索。
かほく市の鉢伏集落背後の茶臼山に営まれた古墳群。
鉢伏茶臼山古墳配置図
径(辺) | 高さ | |||
1号墳 | 円墳 | 15m以上 | ? | 給水塔により破壊 土器出土 |
2号墳 | 方墳 | 15.5×13m | 2.5m | 墳頂部平坦面9.5×7m |
3号墳 | 円墳 | 10m | 1.5m | |
4号墳 鉢伏西山古墳 |
円墳 | 32m | 5m | 平坦面広い |
1980年に給水塔増築のための調査で、竪穴住居14基が検出され、高地性集落が営まれていたと確認された。
中世には山城に利用されていたことが判ってきた。
茶臼山の上り口にある案内板
倒れている。
手前右のタンク辺りには2号墳
奥の右側のタンクあたりに1号墳があった。
気屋古墳 |
かほく市気屋 |
石川考古学研究会会誌に記載されたかほく市の古墳の探索。
気屋川の北側の丘陵にある古墳群。
気屋古墳群配置図
1号墳 | 円墳 | 13m | 25m | |
2号墳 | 円墳 | 13m | 25m | 盗掘の痕跡がある |
3号墳 | 円墳 | 10m | 1.5m | 盗掘の痕跡がある |
気屋古墳出土とされているものには須恵器壺、杯がある。
石川考古学研究会会誌に記載された古墳の地図を持って行ったら、どうも白山神社の位置が違う。
白山神社の雑木を整理している男性にきいた。
「15年ほど前に山の中にあった白山神社に雷が落ちて、社殿が壊れたので、ふもとに神社を建て直した。
現神社の前の山道を行けば元の神社跡があるけれど行けるかなあ?最近は行ったことない。」
ここまで来たからには行かないわけにいかない。
鳥居の奥に元の白山神社に続く山道がある。
左側に現在の白山神社社殿がある。
鳥居の奥を東に進む。かなり荒れた道だが、参道だったと思われる小道や階段が続く。
元の神社跡は周りが削られて窪地になっていて碑が立っていた。
写真中央に碑が見えている。
石碑には「白山神社跡 平成5年10月9日」と書かれている。
この神社があった所も古墳ではないかといわれているが確認は出来ない状態。
神社跡のうしろには、かなりしっかりした墳丘があった。(1号墳)
1号墳の南西には2基の円墳がある。(2・3号墳)
盗掘のため穴があいている。
(仮)2号墳
(仮)2号墳の盗掘の穴
雪がたまっている。
(仮)3号墳
笠島古墳 |
かほく市笠島 |
石川考古学研究会会誌に記載されたかほく市の古墳の探索。
笠島盆地を臨む独立丘陵上の古墳で、明治時代に調査が行われ、水晶切子玉などが出土した。
横穴式石室の可能性があるそうだ。
笠島古墳配置図
以前見に行った亀田神社古墳の北の独立丘陵の上にある。
民家の横から山に登る。崖っぷちでかなり危険な所もある。
笠島古墳のあたり
残念ながら墳丘の確定には至らなかった。
笠島古墳遠景
南西から写す
大白山古墳群 |
津幡町津幡 |
石川考古学研究会会誌に記載された津幡町の古墳の探索。
大白山古墳群は、津幡川右岸の丘陵陵線に位置する。
大白山古墳群配置図
1号墳 | 方墳 | 8m | 1.5m | 墳頂部平坦面広い |
2号墳 | 方墳 | 7m | 0.5m | 墳頂部平坦面広い |
大白山神社の背後の山にあると思って神社に行ったが、なんと、神社と古墳の間には道路が通っていた。
新しい道路から墳丘の辺りに上って見るが、墳丘の確認にはいたらなかった。
もう一度調べなおして、見学に行こうと思う。