北村さんちの遺跡めぐり
更新日2005/11/17

三湖台古墳群へ 2005/10/9
 

加賀三湖(木場潟・今江潟・柴山潟)のあたりにはたくさんの古墳が作られていたという。
現在は今江潟は全部埋め立てられ、柴山潟も半分埋め立てられ、古墳もほとんど残っていないという。
前方後円墳は御幸塚と臼のほぞ古墳しか残っていない。
御幸塚は以前見に行ってきたが、戦国時代に城が築かれたため、前方後円墳の形を確認することはできなかった。
「臼のほぞ」古墳はそのまま残っているという。
「臼のほぞ」古墳目指して出発です。
「どんどん祭り」でにぎわっている小松市街地を抜け、御幸塚のそばを通り、墳丘が残っているという佐衛門殿古墳や茶臼山古墳などを探すが見つからない。
ウロウロしているうちに臼のほぞ古墳のある辺りに到着。
そこは大本教の公園になっていて、ちょうど掃除の日らしく大勢の人が公園の清掃に精を出していた。
その横を通り過ぎ臼のほぞを探す。あった!

地図g

臼のほぞ古墳
うすのほぞこふん

小松市串町字臼の臍1番地
(撮影日2005/10/9)

   



臼のほぞに続く小道

「牛のほぞ」といわれていたこともあった。
入口の石碑は「前方後圓墳臼の」のあたりで地面に埋もれている。





臼のほぞ前方部の四角い土壇

三角点設置のためのものと思われる。





臼のほぞ後円部

ずいぶん昔から後円部には大きな穴があいていたらしい。
それが臼のほぞという名称のもとになっている。
今はなぜか四角く盛土されている。


臼のほぞ後円部
東南側からの横姿

周辺が土取りをされていく中で、臼のほぞ古墳は現在の所有者の宗教法人大本教が、古墳の存在を認識して、この場所を聖地としたため奇跡的に残った古墳である。


臼のほぞ古墳実測図
全長約52m
後円部径約29m・くびれ部幅約19m
前方部長約26m・前方部前端幅約29m
周溝は幅7〜8m
4ヶ所の渡り土堤がある。(水色の部分)
後円部の方形の盛り上がりは一辺9〜10m・高さ2.2mで、戦後に四角く盛土されたらしい。
元は穴があいていて、戦時中は戦闘の訓練に使われた。


前方部にも一辺7〜8m高さ約0.4mの盛り上がりがあるが、これは三角点設置にかかわるものと考えられる。

月津台地の一番高いところに築かれている。
5世紀後半の築造とみるか6世紀の築造とみるか特定できていない。

     

遺跡地図を見ながら、他の古墳を探すが、結局わからず、矢田新町にある丸山古墳に向かう。
この古墳は住宅地図にも載っているので、確実に見られる。

満留山古墳
矢田新丸山古墳
まるやまこふん

小松市矢田新町
(撮影日2005/10/9)

ここはずっと以前に来たことがある。
場所をすっかり忘れてしまっていたが、遺跡地図で見つけ来ることができた。
簡単な説明板がある。


満留山神社正面



満留山神社は古墳の上に建つ。
直径30m・高さ5m・周囲80m
高松古墳(どこ?)の造りと同じとされている。(説明板から)



満留山古墳墳丘
墳裾は削られ、主体部は破壊されている。
墳頂の小さな社殿の横に
2040年発掘予定のタイムカプセルが埋められていた。


満留山古墳の墳裾にある石材
石室の石か?
横穴式石室に家形石棺が安置されていて、子持勾玉が出土した。



満留山古墳組み合わせ式石棺の石材か?

墳頂に飾られている。
キレイに整形された一枚岩だ


片山津町のあたりにも、古墳があるので探してみようとウロウロしてみるが見つからない。
以前来たことのある富塚丸山古墳の近くに「片山津天神古墳」というのがある。

片山津天神古墳
かたやまづてんじんこふん

加賀市片山津町
(撮影日2005/10/9)

ここは道路のそばで、きっと神社のあるところだろうと思い探すが見つからない。
外にいた 60代くらいのおじさんに聞いたら、
「元はこの辺りに天神様があったらしい。この辺の地名は天神だ」と教えてくれた。
60代のおじさんが物心ついたときには、もうその天神様は他の場所に移転していたらしいから、ずいぶん前の話だ。



片山津天神古墳のあたり

もとは天神様があったところ
片山津天神古墳は方墳で墳丘は削平されてしまっている。

このあたりは富塚古墳群といわれている。そのままの形で残っているのだろうか?
富塚古墳群は9基の円墳からなる。

加賀市の地図g

分校チャカ山の隣にある分校カン山古墳が見れないかなあと、カン山の山裾を一回りしてみたが、
山の中に入る道が見つからずあきらめた。
地図があっても古墳探しは難しい。
さあ家に帰ろう!

三湖台古墳について
さんこだい

加賀三湖に囲まれた洪積台地は三湖台と呼ばれ、多くの古墳が造られた。

@御幸塚 E臼のほぞ古墳 Q矢田新丸山古墳
以外は見学できない可能性が高い。

@ 御幸塚古墳 後円部先端削平 前方後円墳・全長30m - 指輪・須恵器・直刀 
A 土百古墳 消滅 円墳・径10m   管玉
B 狐山古墳 消滅 円墳 切石組合石棺   
C 矢崎B古墳 消滅 円墳 切石積横穴式石室 馬具・金環
D 符津石山古墳 消滅 円墳 切石積横穴式石室 須恵器・直刀・金環
E 臼のほぞ古墳 主体部・墳頂部破壊 前方後円墳・全長52m -  
F 佐衛門殿古墳 大部分削平 円墳 -  
G 茶臼山古墳 主体部破壊 円墳・二段築成 - 須恵器
H 箕輪塚古墳 消滅 前方後円墳 箱型粘土棺 須恵器・玉
I 矢田野エジリ古墳 消滅 痕跡残 前方後円墳 - 埴輪・須恵器
J 念仏塚古墳 消滅 円墳 - 埴輪・須恵器
K 念仏林古墳 消滅 円墳 箱型粘土棺 須恵器・直刀・鉄斧・金環
L 借屋古墳群 消滅 前方後円墳2基を含む
計12基
   
1号墳   円墳・径10m    
2号墳   円墳・径9m・高さ6.5m 箱型粘土棺 鉄鏃・刀子・直刀
3号墳   円墳・径10m    
4号墳   円墳・径13m・高さ3.5m 箱型粘土棺 埴輪
5号墳   円墳・径10m    
6号墳   円墳・径12m     
7号墳   前方後円墳・全長35m    埴輪・須恵器・直刀・鉄鏃
8号墳   前方後円墳・全長30m    
9号墳   円墳・径13m   埴輪
12号墳   墳形不明   埴輪
M 矢田野古墳群 墳丘破損 円墳2基 -  
N 百人塚古墳 消滅 円墳 -  
O 無名古墳群 消滅 円墳10基 箱型粘土棺  
P 狐森古墳 消滅 円墳 家形石棺  
Q 矢田新丸山古墳 墳丘裾・主体部破壊 円墳 横穴式石室・家形石棺  
R 中村古墳 消滅 円墳 切石積横穴式石室 須恵器・金環
S 興宗寺古墳
21 符津C1・C2号墳

三湖台の真中に鉄道や主要道路が作られ、この台地はどんどん削られ、それとともに遺跡も消滅していった。

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