北村さんちの遺跡めぐり
更新日2004/10/25
御経塚遺跡へ | 石川県野々市町御経塚 2004/6/5 |
自宅の近くの有名な遺跡で、ホームページに載せていないのは、あと「御経塚遺跡」だけだねという話になり、
自宅から車で15分くらいの「御経塚遺跡」に出かけた。
現在、SATYショッピングセンターとなっているところには、古墳群(御経塚シンデン遺跡)があった。
本当はそれを見たいのだけど今はショッピングセンターの下なので、見れない。
SATYと道を挟んで南側は、以前から公園になっている。
子供達が小学生だった頃は、遠足の目的地だった。
ここは縄文時代後期〜晩期に営まれた径200m以上の環状の大集落跡である。
この場所が「御経塚遺跡」だ。
この遺跡は昭和29(1954)に旧押野中学校生徒らにより発見され、平成8(1996)年まで発掘調査がされた。
公園の西側には野々市町埋蔵文化財収蔵庫があり、
御経塚遺跡、シンデン古墳群の資料のほか、末松廃寺の遺物などが展示されている。(無料)
古代住居が復原されている御経塚遺跡
調査では、30軒の住居跡とともに
当時の人々の生活を物語る土器・石器などの遺物が発見された。
最初の調査で発見された御物石器
石囲いの中に埋納されていた呪具で、研究者の注目を集め、
北陸における縄文時代晩期の初めころの標準となる「お経塚式土器」が設定された。
野々市町埋蔵文化財収蔵庫には、私達が知りたかった御経塚シンデン遺跡の資料も展示してあった。
シンデン古墳群配置図
現在、SATYショッピングセンターとなっているところには、古墳群があった。
SATYができる前は、水田となっていて、御経塚と呼ばれる塚だけがあった。
SATYを建設するに先立ち、大掛かりな発掘が行なわれた結果、
弥生時代後期の集落跡であるとともに、
古墳時代前期の大古墳群だったことが明らかになった。
昭和61年から63年にかけた調査で、
全長27mを測る前方後方墳1基と、一辺9〜14mを測る方墳11基が確認され、
その後の部分調査でも東側にさらに前方後方墳1基、方墳1基が確認されている。
これらの古墳は、その直前まで営まれていたムラを全て移動させた後に築造されたもので、
被葬者となった首長の力の強大さがうかがわれる。
耕地にするために、早くから破壊された平地の古墳。
今はにぎやかなショッピングセンターの下で、
静かに(や しいかもしれないが)眠っている。
発掘の様子
7号墳の発掘状況 | |
10号墳の発掘状況 |