北村さんちの遺跡めぐり

津幡町      地図g

七野墳墓群

津幡町七野
2015/4/23

石川県には、四隅突出型墳丘墓は1基しか確認されていないと思っていたら、津幡町にもう1基あると知った。

道の駅「倶利伽羅源平の郷」から南に向かう道路を行くと、倶利伽羅不動尊西之坊鳳凰殿とよばれる寺院に到着する。
平成10(1998)年に建てられたので、まだ新しい建物だ。
すぐ横には介護施設がある。
七野墳墓群は、この鳳凰殿の南の高台にあり、境内に取り込まれてきれいに保たれている。

 説明板もあります。

倶利伽羅不動尊西之坊鳳凰殿
いつの間にこんなりっぱな建物ができていたのか・・・・・
七野墳墓群はこの右側の高台に保存されている。

   

 七野墳墓群は、津幡町七野の丘陵地上に立地する、12基からなる弥生時代終末期の墳墓群
 眼下に富山に抜けていく道があり、西には金沢平野を見渡すことができる交通の要衝に位置している。
 最も高い場所に位置する1号墓には10もの墓坑が存在し、
      素環頭刀子や多くの管玉・ガラス玉が副葬品として発見されている。
 弥生時代終末期の築造と推定されている。河北潟東岸における有力者一族の墓と考えられている。

 1998(平成10)年に町指定文化財になっている。
 現在は2・3・4号墓が保存されている。
 2号墓は「四隅突出墓」で、山陰地方によく見られる形で、
      当時の北陸地方と山陰との地域間交流を裏付ける好資料と考えられている。
                        (津幡町生涯学習課HPから)

1号墓の発掘時の様子
     (説明板から)
左奥から
1号墓・4号墓・3号墓・2号墓の順に並んでいる
東から西へ、1・4・3・2号墓の順に並んでいる。

南の道路から見上げる七野墳墓群

北の麓から見た七野墳墓群

1号墓跡地から見た4号墓

手前から4号墓 3号墓 2号墓

手前3号墓・奥が2号墓

四隅突出形の2号墓の舌状張り出し部




手前から2号墓 3号墓 4号墓


右奥の広場は1号墓跡地

もう一つの四隅突出型墳墓は・・・・白山市の一塚遺跡群だが、消滅している。  

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