北村さんちの遺跡めぐり

二日市イシバチ遺跡の古墳群 野々市市二日市
撮影日2018/8/11

二日市イシバチ遺跡では、古墳が発見されたそうだ。
この地は現在、「つばきの郷」という住宅街になっている。

つばきの郷公園

新幹線の高架建設とJR線路のすぐ南にある。
公園入口に「二日市イシバチ遺跡」の説明板がある。


 

 二日市イシバチ遺跡は、弥生・古墳・室町時代の遺跡で、集落や古墳が発見されている
 弥生時代後期後半から古墳時代初頭の集落では、
   竪穴建物23棟、掘立柱建物15棟と建物が集中する集落の中心域が確認され
ている。
 集落の南西約150mのところでは、方墳7基が分布している。
  弥生時代後期後半から続く集落跡が大きく成長し、古墳群を形成するまでになった。
  集落の西隣りに、墓域を設けたムラの景観全体が想像できる県内でも珍しい例。
 室町時代では、
  集落が掘立柱建物、竪穴状遺構、井戸などで構成される居住域と、
  耕作域に大きく分かれている。
 居住域には、宅地割りや排水機能を持つ溝が巡らされ、計画的な集落形成がうかがえる。
遺構の状況(遺構位置図)
 (説明板から)

新幹線建設と住宅地建設、
 公園建設で
 遺跡の生の姿は
 見ることはできない。



弥生・古墳時代の集落中心地
(2012年)

竪穴建物から見つかった完形の土器
(古墳時代)

古墳(方墳)の周溝
方墳は、一辺18mと約8mの
大小2種類が確認されている。

南北方向に走る畝溝列
(室町時代)
耕作のために作られた畝溝が確認された。


押野大塚古墳

野々市市押野

野々市市には他にも古墳があったそうで・・・。

押野大塚遺跡の
大塚古墳
 通称「オオツカ」という地名のとおり、
  江戸時代には周囲約73mの大きな古墳があったと伝えられているが、
  明治時代におこなわれた耕地整理により失われた。
 大塚古墳は、現在は「大塚交差点」として、その名を残すのみだ。

 

加賀の遺跡のトップ

トップページへ