北村さんちの遺跡めぐり

能美市(旧寺井町)   地図g   

寺井山遺跡
県史跡

能美市寺井町
(撮影日2002/8/14
)

寺井山は宅地造成のためほとんどが削平されてしまった。
10基以上の古墳があったというが、住宅街の中に寺井山遺跡として寺井山5号墓・6号墓が公園として残されている。
弥生時代終末期の築造と推定されている。

寺井山5号墓
元あった西尾根の北端に位置する。
幅5mの周溝をめぐらした直径20m・高さ1.7mの円形墓
埋葬施設が認められないので、
  祭壇のような円丘施設と見る向きもあるという。


      (撮影日2002/8/14)
寺井山5号墓・6号墓 平面図   (説明板から)

寺井山にある古墳群は6基確認され、 
 出土品、伝承から少なくとも10基以上の古墳があったとされている。

 5号墓の西に隣接して、
  盛土のない6号墓(区画墓)があり、鉄剣・太刀・鉄鏃が出土。
5号墓と6号墓は、一体的なものとしてみられていて、
  弥生時代終末〜古墳時代初頭の築造と推定されている。

説明板には、5号墳・6号墳と書かれている。

能美市寺井山6号墓  弥生時代終末期
出土鉄器

(「小松と能美の平野を見渡す古墳群」パンフから)

説明板には、5号墳・6号墳と書かれている。
弥生時代から古墳時代への過渡期で、「墓」なのか「墳」なのかは微妙なところだ。
    

寺井山遺跡・補足

能美市寺井町
(撮影日2011/10/9)

寺井山遺跡には、弥生時代終末期の築造と推定されている5号墓と6号墓が保存されているが、
1〜4号墓はどこにあるのか?
秋常山シンポの資料に掲載されていたので、紹介しておく。



寺井山古墳群の位置

1〜4号墓は、「位置等が特定できない消滅古墳(墓)」となっていて
×印で示されている。

薄い茶色の線で示されているのは
元あった寺井山、三道山(寺井山の北の尾根)の等高線。

現在、寺井山・三道山はほとんど削平され、道路や宅地となり、
 緑色であらわされた部分(寺井山遺跡として保存されている所)と
 三道山八幡神社のあるところだけが
 かつての山のなごりとして残されている。






三道山(サンドヤマ)はここだけ残っている


まるで古墳のようだ。

ここに三道山八幡神社がある。




三道山八幡神社

三道山の鎮守様

50数年前の松任町(現白山市)石川小学校の低学年の遠足では、
ここでお弁当を食べた!
当時は、三道山があったという。

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