北村さんちの遺跡めぐり

能美市(旧辰口町)    地図g   

下開発茶臼山古墳群

能美市松が岡
2002/9/23
2006/3/4
2007/1/21
2011/9/16
2019/11/7・11/13
2020/1/25

下開発茶臼山古墳群は、
標高47mの辰口丘陵にあり、能美平野に向かって北・東・西方向へ派 生する3つの尾根上に分布している。
東支群8基・西支群10基・西尾根支群10基の計28基が確認されているが、消滅古墳を含めて30基以上の古墳群であったと推定されている。
墳形は全て円墳で、径4〜19m。(最大規模の12号墳が直径約19m)。
5世紀〜6世紀の築造と推定されているが、5世紀後半のものが多いと考えられている。

鉄製武器(剣・刀・鏃)、鉄製農工具(斧・ヤリガンナ・鎌など)、土器(須恵器・土師器)、玉類(勾玉・管玉・臼玉)などが出土。
古墳群築造の始まりとなった9号墳から出土した短甲・衝角付冑や竪櫛175枚、
7号墳から出土した三葉環頭太刀などが注目されている。


下開発茶臼山古墳群分布図 
 (新しく建てられた説明板から)
    撮影日2011/9/16

東支群のあった場所には、現在
健康センターが建っている。


 東支群
1号墳 径14.8m 粘土槨1基 棺内から竪櫛・鉄器片・須恵器壺
2号墳 径10.5m 木棺直葬 主体部から勾玉・剣・斧・鏃など  周溝から鍬先・土師器高杯
3号墳 径7.2m    
4号墳 (径7.5m) 木棺直葬  
5号墳 径7.6m 木棺直葬  
6号墳 径7.8m    
7号墳 径10.3m 木棺直葬 三葉環頭太刀・直刀・鏃
8号墳 (径7.0m)    

   

 西支群
9号墳 東西17.2m南北15.7m高さ1.5mの円墳
周溝幅1〜1.7m
2基の埋葬施設
(木棺は完全に腐朽)
@隅丸長方形6×2m
A長楕円形6×2.4m
 第1主体部(北側)から
  銅鏡1・玉類139以上・竪櫛50・鉄製刀子・鉄刀など
第2主体部から
  玉類1323以上・竪櫛125・鉄斧2・鉄製刀子
  ・鉄刀・鉄剣・鉄鏃42・短甲・冑・板錣など
10号墳 径6m程の円墳
周溝幅0.8〜1m
  墳丘中央で土師器碗 
11号墳 径約11mの円墳
周溝幅0.9〜1.4m
  遺物なし
12号墳 径19.2m  
13号墳 径14.3m  木棺直葬 勾玉・管玉・ガラス小玉・剣・直刀・刀子・鏃
14号墳 径11m  3基の埋葬施設(木棺直葬) 第1から鏃・鎌・鋤先
第2から鏃・刀子 
第3から刀子
15号墳 径7.2m 3基の埋葬施設(木棺直葬) 第1から鏃・刀子
第2から鏃・刀子 
16号墳 径7.0m  木棺直葬
17号墳 5.8m    
28号墳 径8m程度の円墳
周溝幅0.7〜1.7m
9号墳の周溝からのびてくる溝がつながっている。 遺物なし

    

 西尾根支群(10基)
   先端(18号墳)から尾根の高い方に順に築造された。
   古墳時代とは異なる時代の遺物(縄文土器・弥生土器・土師器・須恵器)も出土している。  
18号墳 東西13.7m南北13.6m高さ2mの円墳
周溝幅1〜2.8m深さ0.6〜0.8m
  須恵器甕
19号墳 南北9.3m東西9.2mの円墳
周溝0.8〜1.5m深さ0.3〜0.5m
  須恵器
20号墳 南北8.8m東西7.8mの円墳
周溝幅0.9〜1.7m深さ0.4〜.6m
木棺直葬と推定 鉄刀1・鉄鏃6・玉類30・須恵器3
21号墳 南北7.7mの円墳
周溝幅1.1m〜1.2m深さ0.2〜0.8m
  鉄刀・鉄斧・鉄製鋤先・土師器
22号墳 東西6.5mの円墳
周溝幅0.7〜0.8m深さ0.1〜0.3m
  完形の須恵器6
23号墳 径4m前後の円墳
周溝幅最大2.5m深さ0.7m
周溝は22号墳との重複を避けるために完全に回っていない 遺物なし
24号墳 東西8.5mの円墳
周溝0.8〜1.0m深さ0.3〜0.4m
  遺物なし
25号墳 径7m程の円墳
周溝幅最大1.0m深さ0.2m
  遺物なし
26号墳 東西6.2mの円墳
周溝0.5〜1.3m深さ0.2〜0.5m
  土師器碗の破片
27号墳 径8m程度の円墳
周溝幅0.9〜1.3m深さ0.4〜0.7m
土坑3基を検出したが古墳の遺構かは不明 須恵器3・土師器5など


2019・2020年の下開発茶臼山古墳群

(撮影日2019/11/7・11/13
2020/1/25)


古墳群復元図(山歩き資料から)

   

下開発茶臼山古墳群
西支群


残された西支群
4基残っているというが、一つのはげ山!
その他の墳丘は、土が削り取られて無い。

一番高いところが9号墳
その左に、10・11号墳
9号墳の向こうに28号墳


ふもとに説明板がある。
円墳ばかりの古墳群、それも決して大きいとは言えない古墳が、なぜ注目されるのかというと、
 9号墳から甲冑や竪櫛が出土したからだと私は思う。

 下開発茶臼山9号墳
 東西17.2m南北15.7m・高さ1.5mの円墳 周溝幅1〜1.7m
 2基の埋葬施設がある。(木棺は完全に腐朽)
 第1主体部(北側)は、隅丸長方形(6×2m)で、
  銅鏡1・玉類139以上・竪櫛50・鉄製刀子・鉄刀などが出土
 第2主体部は、長楕円形(6×2.4m)で、
   玉類1323以上・竪櫛125・鉄斧2・鉄製刀子・鉄刀・鉄剣・鉄鏃42・短甲・冑・板錣などが出土。
 5世紀前半の築造と推定されている。
 出土したものの特徴
  装身具が大量に出土していて、翡翠、瑪瑙、緑色凝灰岩、滑石、ガラス製の多種多様な玉類と
   県内最多となる竪櫛の出土は特筆される。
 武具は三角板革綴短甲と竪矧板革綴衝角付冑の組み合わせで、
  加賀地域では最古の出土例となる。
 冑は革綴から鋲留への過渡期の型式を示しており、全国的に希少である。

甲冑出土の様子 

出土した鉄製品
(「小松と能美の平野を見渡す古墳群」パンフから)
 

出土した竪櫛

出土した装身具
 (いずれも「古墳を見つける山歩き」資料から)

 下開発茶臼山9号墳出土品 1656点は、令和2年2月12日に、県指定文化財になった。 

茶臼山9号墳発掘時の様子

9号墳頂部
 下開発茶臼山28号墳
  径8m程度の円墳  周溝幅0.7〜1.7m
 9号墳の周溝からのびてくる溝がつながっている。遺物なし

28号墳

9号墳の北西にくっついている
 
 下開発茶臼山10号墳
  径6m程の円墳  周溝幅0.8〜1m
 墳丘中央で土師器碗


手前が10号墳

右奥は西尾根支群の林
 下開発茶臼山11号墳
  径約11mの円墳  周溝幅0.9〜1.4m  遺物なし

11号墳

奥のビルは辰口芳珠記念病院

本当のところ、残っているという4基の古墳は区別がつかない…。

西支群頂部から見た能美古墳群

このホームページのトップの写真と
同じアングルで撮っているが、
手前の樹が大きくなって、和田山古墳群しか見えない。
  

下開発茶臼山古墳群
西尾根支群

西尾根支群は整備に伴い盛り土がなされて、尾根に沿って小さな円墳がある様子を観察できるようになっている。

下開発茶臼山27号墳  (半壊)
径8m程度の円墳
周溝幅0.9〜1.3m深さ0.4〜0.7m
土坑3基を検出したが古墳の遺構かは不明
須恵器3・土師器5などが出土

報告書では、保存されていないことになっている。
下開発茶臼山26号墳
東西6.2mの円墳
周溝0.5〜1.3m深さ0.2〜0.5m
土師器碗の破片が出土
 

西から見る
下開発茶臼山25号墳
径7m程の円墳
周溝幅最大1.0m深さ0.2m
遺物なし

西から見る
下開発茶臼山24号墳
東西8.5mの円墳
周溝0.8〜1.0m深さ0.3〜0.4m
遺物なし

左奥は 西支群の丘
下開発茶臼山23号墳
径4m前後の円墳
周溝幅最大2.5m深さ0.7m
周溝は22号墳との重複を避けるために
 完全には回っていない
遺物なし

西から見る
下開発茶臼山22号墳
西6.5mの円墳
周溝幅0.7〜0.8m深さ0.1〜0.3m
完形の須恵器6が出土



南から見る
下開発茶臼山21号墳
南北7.7mの円墳
周溝幅1.1m〜1.2m深さ0.2〜0.8m
鉄刀・鉄斧・鉄製鋤先・土師器が出土


南から見る
下開発茶臼山20号墳
南北8.8m東西7.8mの円墳
周溝幅0.9〜1.7m深さ0.4〜.6m
木棺直葬と推定されている。
鉄刀1・鉄鏃6・玉類30・須恵器3が出土

北から見る 右奥19号墳
下開発茶臼山19号墳
南北9.3m東西9.2mの円墳
周溝0.8〜1.5m深さ0.3〜0.5m
須恵器が出土

19号墳を南から見る 右奥20号墳
下開発茶臼山18号墳
東西13.7m南北13.6m・高さ2mの円墳
周溝幅1〜2.8m深さ0.6〜0.8m
須恵器甕が出土

東から見る 周溝も確認できる

  

以前の下開発茶臼山古墳群

     

9号墳
下開発茶臼山古墳群・西支群)

今は「緑ヶ丘」と言われている住宅街の一角、辰口宝珠記念病院の横の健康センターのそばの小山は古墳(茶臼山9号墳)だ。
いずれはこの古墳のまわりは公園になるという。

2002年に見学した当時は、ここには9号墳だけ保存されていると思っていたが、2011年9月16日に見に行った説明板を見て、
実は9・10・11・28号墳が保存されていると分かった。

茶臼山9・10・11・28号墳が保存された小山
         撮影日2002/9/23
健康センターを建設するために周りを削ったので大きな円墳に見える。

山全体に土器の破片らしきものが落ちている(?)


 9号墳出土
 衝角付冑と三角板革綴短甲

    (能美市立博物館)

  9号墳出土の装飾品
       (能美市立博物館)

墳丘の頂上から能美古墳群を望む        撮影日2002/9/23

左から和田山和田山5号墳(道路が和田山を二つに分断した)、末寺山、くっついて見える秋常山西山

このHPのトップページのタイトル部の写真です。
2002年9月下開発茶臼山9号墳から写したものだが、現在は手前の林が大きくなり、同じ景色を見ることはできない。
保存されている西尾根支群も雑木が大きくなっていて見学が難しくなりつつある。
9号墳付近は、除草がなされていて、墳丘に上ることができる。

18〜27号墳
(下開発茶臼山古墳群・西尾根支群)

(撮影日2006/3/4・2007/1/21)

9号墳の西隣に「西尾根支群」というのがあり、墳丘を現状保存してあるというので確認に行く。
以前行ったときは9号墳の横はちょっと入れないような雑木林だったはずだけど・・・・・・
北側のふもとから上ってみると・・・・・・・
木を整理したらしくすっきりしていて、はっきり墳丘がわかる。
うれしくなってしまった。

18号墳から27号墳が西尾根支群
西尾根支群は1988〜89年に発見され、発掘調査は、周溝の確認を中心に行なわれた。
半壊していた27号墳以外は、墳丘が保存されている。
東支群(1〜8号墳)はすべて消滅、西支群(9〜17・28号墳)は9号墳以外消滅。
消滅したところは削平され、福祉センターや広場・道路となる。

西尾根支群は9基保存されている。


東より西尾根支群を望む。    撮影日2006/3/4
奥が18号墳



 


奥が18号墳
        撮影日2006/3/4
支群中最大の規模
約径13.7m高さ2mの円墳

手前は19号墳
径約9.3mの円墳

 

西尾根支群の真中辺りの墳丘    撮影日2006/3/4


 

奥が26号墳         撮影日2006/3/4

手前が25号墳


 

26号墳(西側から)        撮影日2006/3/4

右の建物は辰口宝珠記念病院
径6.2m程の円墳


 


25号墳
          撮影日2006/3/4

径7m程の円墳
 


24号墳
        撮影日2006/3/4

径8.5m程の円墳


日暮れ近くで写真が暗い。

2007年1月21日に、もう一度見に行く。

9号墳から見た西尾根支群       撮影日2007/1/21

 左から右に
 27号墳・26号墳・25号墳・24号墳・23号墳・22号墳・21号墳・20号墳の順に続く。
 この右側に、19号墳・18号墳が続く。(標高が低くなり見えない)


22号墳の墳頂に立つ私
     撮影日2007/1/21

この奥に21号墳から18号墳が続く
低い小さな円墳が並んでいる。



尾根の先端18号墳に立つ私(見えない)  撮影日2007/1/21

一番奥が18号墳

18号墳は径13.7mの円墳
西尾根支群中最大


西尾根支群データ

18号墳 東西13.7m南北13.6m高さ2mの円墳
19号墳 南北9.3m東西9.2mの円墳
20号墳 南北8.8m東西7.8mの円墳
21号墳 南北7.7mの円墳
22号墳 東西6.5mの円墳
23号墳 径4m前後の円墳
24号墳 東西8.5mの円墳
25号墳 径7m程の円墳
26号墳 東西6.2mの円墳
27号墳 径8m程度の円墳

下開発茶臼山古墳群データ
(下開発茶臼山古墳群U 第3次発掘調査報告書から)

下開発茶臼山古墳群は東支群8基・西支群10基・西尾根支群10基からなる。全て円墳。

第1次調査
昭和27年、小松実業高校地歴クラブが1号墳を発掘調査

第2次調査
昭和49年、第1次調査で発掘された1号墳は墳丘ごと工事で削平され、他にも周溝が確認されたため、
工事は中止となり2年かけて第2次調査が行なわれた。中央部の丘陵に9基(西支群)、東の尾根に8基(東支群)を確認
既に工事で破壊されている古墳が多く、西支群の9・10・11号墳だけ残し、他は記録保存となる。

第3次調査
昭和61年、西支群の9号墳の北西に28号墳発見
昭和63年西支群の西側の尾根で10基(西尾根支群)を発見
この時点で既に東支群全てと西支群大部分が消滅している。
第2次調査で保存された9・10・11号墳と今回発見された28号墳・西尾根支群の10基の発掘調査を行なった。

調査の後、東支群の北側の山も削平され、
現在は福祉センターが建つ。
第3次発掘調査の後、9号墳と西尾根支群の9基(27号墳以外)が残され、いずれは公園になるということだ。

時代変遷 時代 古墳番号  
第1段階 古墳時代中期中葉 9・13・7 中央政権の関与
第2段階 古墳時代中期後葉 東支群1〜3
西尾根支群18〜23
造営単位の二分化
第3段階 古墳時代中期末 東支群5・6
西支群12・17
西尾根支群24〜27
格差の拡大
第4段階 古墳時代後期前半 14・15・16 小規模古墳

東支群4・8 西支群10・11・28 は時期の特定ができない。

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