北村さんちの遺跡めぐり

能美市(旧辰口町)  地図g    

西山古墳群

能美市徳久町
撮影日  2002/4/14
2011/5/4
2011/10/9
2011/10/21
2019/11/13

2019年の情報です。

「国指定史跡能美古墳群 西山古墳群」となり、
 墓地だった西山は、整備をするために、お墓をふもとに移転した。
新しい墓地の奥に、上り口がある。

西山古墳群入口

19号墳(左手前)と
20号墳(右奥)の間の階段を上がる

19号墳前に説明板がある。
西山には、お墓の土台だけが残っている。

 西山古墳群は、能美古墳群の最も東に位置する支群。
 昭和39(1964)年から、数回の調査を経て、17基の円墳が発見されている。
 古墳がつくられた時期は5世紀後半から6世紀後半の約100年間にわたる
 その始まりとなる3号墳は小規模な円墳だが、鉄製甲冑や銅鏃などが副葬されていた。
 6世紀前半までは、丘陵の西尾根・北尾根斜面を中心に直径12m〜20mの円墳が多くつくられている
 6世紀後半になると、尾根頂部を中心に、
  加工した凝灰岩を積みあげた「切石積横穴式石室」を埋葬施設とする円墳がつくられる

     (1・2・8・9号墳)。
 ここでは鈴杏葉や馬鐸といった銅製馬具、金銅で飾った馬具や
  鉄鏃、鉄刀、玉類、須恵器をはじめとする豊富な副葬品が見られる。
 その他に、西山では、弥生時代の土坑墓・木棺墓群や戦国時代の砦跡も見つかっている。
 西山古墳群は、能美古墳群の終焉を物語る重要な支群として、平成25年に国史跡に指定された。
    (説明板から)


西山古墳群配置図

土取りのため、
1・2・3・6・7・11号墳は、
消滅している。
 名前  形・大きさ
 1号墳  消滅  径18mの円墳  切石積横穴式石室
 太刀・鉄鏃・馬具・刀子・鎌・玉類・耳環・須恵器
古墳時代後期

西山1号墳横穴式石室  

西山1号墳側壁
(「小松と能美の平野を見渡す古墳群」パンフから)
 2号墳  消滅  円墳 大きさは不明  切石積横穴式石室 未調査
 3号墳  消滅  円墳 大きさは不明  木棺直葬
 太刀・剣・鉄鏃・甲冑・鏡・櫛
 5世紀後半の築造
 4  欠番    西山砦土塁
 5  欠番    西山砦土塁
 6号墓  消滅  径10〜11mの円形周溝墓  6基の土壙墓  
 調査後、消滅
 7号墳  消滅  円墳か 大きさは不明  未調査
 切石積横穴式石室
 8号墳  径18mの円墳  後述(写真あり)
 9号墳   (径20m)の円墳  後述(写真あり)
 10  欠番    秋常山1号墳となる。
 11号墳  消滅  弥生墓か   未調査
 12号墓  9基以上の土壙墓群  後述(写真あり)
 13号墳  径20mの円墳  後述(写真あり)
 14号墳  径14mの円墳  後述(写真あり)
 15  欠番    横穴墓とされているが確認できない
 16  欠番  横穴墓とされているが確認できない
 17号墳   (径14m)の円墳  後述(写真あり)
 18号墳   (径14m)の円墳  後述(写真あり)
 19号墳   (径15m)の円墳  後述(写真あり)
 20号墳   (径20m)の円墳  後述(写真あり)
 21号墳   (径15m)の円墳  後述(写真あり)
 22号墳   (径12m)の円墳  後述(写真あり)
 23号墳   (径14m)の円墳  後述(写真あり)
 24号墳   (径14m)の円墳  後述(写真あり)
 25号墳   (径14m)の円墳  後述(写真あり)
南尾根土壙墓群  7基以上の土壙墓群   未調査・現存 

  

西山古墳群 北尾根の古墳群

 

北尾根地形測量図

(「古墳を見つける山歩き」資料より)

 

 西山19号墳  撮影日2019/11/13
  (径15m)の円墳   未調査

北から見る

東から見る 右奥は20号墳

 

 西山20号墳  撮影日2019/11/13
 径20mの円墳   一部調査・現存
 河原石利用の埋葬施設   須恵器・鉄鏃・刀子などが出土

南東から見る

墳頂部

 

 西山13号墳 撮影日2019/11/13
 径20mの円墳  一部調査・現存
 須恵器が出土している。

南から見る

墳頂部

  

 西山25号墳 撮影日2019/11/13
 径14mの円墳  未調査

南東から見る

墳頂部

  

 西山24号墳 撮影日2019/11/13
 径14mの円墳  未調査
 土師器が出土している。
 5世紀後葉〜末の築造と推定されている。 

西から見る

墳頂部

 

 西山18号墳  撮影日2019/11/13
 径14mの円墳  未調査

北から見る

西から見る

 

 西山17号墳 撮影日2019/11/13
 径14mの円墳  未調査

北から見る

墳頂部

  

 西山14号墳  撮影日2019/11/13
 径14mの円墳   未調査

  

 西山23号墳 撮影日2019/11/13
 径14mの円墳 未調査 
 土師器が出土している。  5世紀後葉〜末の築造と推定されている。

東から見る

墳頂部

  

  西山9号墳  撮影日2019/11/13
 径20mの円墳  
 土取りで石室が半壊し、調査された。調査後、石室は消滅したが墳丘は残っている
 切石積横穴式石室
 鉄鏃・馬具・刀子・針・銅鏡・玉類・耳環・須恵器などが出土している。

9号墳出土品

   (説明板から)

土取りで削られた墳丘

向こう側は崖

   

 西山12号墓 撮影日2019/11/13
 9基以上の土壙墓群
 調査・現存

手前12号墳(墓?) 
 
 奥は8号墳


12号墳の北側に広がっている。
8号墳とともに調査されている。
(8号墳の墳丘図 参照)

  

  西山8号墳  撮影日2019/11/7
 径18mの円墳 調査済み ・現存 
 切石積横穴式石室
 鉄鏃・小刀・刀子・耳環・須恵器などが出土
 


8号墳の凝灰岩切石積石室
 (説明板から)

 土取りのため、昭和42年に石室が調査され、
  半壊ながら墳丘が残されて、石室石材は博物館に保管されている。
 墳頂部に「西山古墳群」と刻まれた石碑が立つ。
 現在は整備のための発掘調査をしている。

8号墳 墳丘図
(山歩き資料から)

出土した土器
(説明板から)

8号墳 墳丘

石室をもとに戻すための調査をしている。

「西山古墳群」と刻まれた石碑が立つ。
(以前見学したときにも立っていた)
その横に集められた河原石は、
 石室の床に敷かれていたもの。


墳丘が土取りで半壊していて、
盛り土の断面を観察することができた。

この8号墳の写真は、「古墳を見つける山歩き」当日のものだ。
後日見学の際には、発掘現場はブルーシートで覆われていた。

ブルーシートに覆われた
  墳頂部 石室跡


  撮影日2019/11/13


   

西山古墳群 西尾根の古墳群

配置図を見ていたら、西尾根に2基の古墳があることが分かり、もう一度西山へ。
8号墳の北から細い尾根伝いに下り西尾根に行ける。
(削られて細くなった尾根かな?)
21・22号墳があるが、どちらも低い墳丘。
北尾根に比べて、標高が低いので、以前は畑でもあったのかもしれない。

  西山21号墳  撮影日2020/3/9
  (径15m)の円墳
 調査済み  埋葬施設はすでに消滅 

南から見る

笹畑?

  

  西山22号墳  撮影日2020/3/9
  (径12m)の円墳
 調査済み   埋葬施設はすでに消滅


北から見る

ほとんど分からない墳丘

西山古墳群、全部見学できました!

2011年の西山古墳群 訪問日2011/5/4
2011/10/9
2011/10/21

西山8号墳の横穴式石室は、以前
金沢市の中央公園の「石川四高記念文化交流館」の裏庭に復元されていたが、
最近能美市に戻ったという。


中央公園にあった頃の
西山8号墳石室

2011年5月、和田山古墳群のそばにある歴史民俗資料館を訪ねる。(無料で見学できる)
和田山古墳群や末寺山古墳群の資料や出土品が展示されている。見学する価値がある。
しかし、西山8号墳の横穴式石室はない。
職員にたずねたら、辰口市立博物館にあるのではないかとのこと。
辰口市立博物館にむかう。やはり見当たらない。
職員にたずねたところ、石材は確かに保管しているが、まだ復元はされていないという。
倉庫に入りきらない8号墳の石材が、裏庭に置かれているという。


辰口市立博物館の裏庭に置かれた
西山8号墳の石材

        撮影日 2011/5/4

たぶん奥壁の石材だと思う。

表面は風化してボロボロになっている。

その後 2011年10月、
能美市立博物館での秋常古墳群保存整備完成記念展示「秋常山古墳群と能美市の古墳時代」を見学に行ったら、
館内に西山8号墳の石室が復元されていた。


西山8号墳の石室模型
撮影日2011/10/9
石材は発泡スチロールでつくられている。

本物の石材での復元はされていない。がっかり・・・・
     


西山古墳群配置図  (博物館の展示から)
  撮影日2011/10/9

灰色の部分は土取りされている所で、
古墳は削平されている。

南尾根では、
弥生時代の木棺墓か土壙墓と推定される遺構と
中世の山城(西山砦)が発見された。(平成19年度調査)



秋常山古墳群とは20m程の谷をはさんで隣接している西山古墳群は、
北尾根と西尾根に築かれていて、
北尾根で15基、西尾根で2基確認されている。

墳形は全て円墳で、最大でも径20mほどで、15m前後のものが多い。
5世紀後半の築造と推定されている甲冑一式が出土した3号墳を始めとして、
6世紀前半にかけて15m前後の円墳群が築かれ、
6世紀後半には、切石積横穴式石室をもち、金銅装馬具や鋳銅製鈴付馬具を副葬する古墳が築かれたと考えられている。
弥生墓4基(残2基)  古墳17基(残14基)  欠番は5  となっている。

 1号墳
 円墳  径18m  切石積横穴式石室
太刀・鉄鏃・馬具・刀子・鎌・玉類・耳環・須恵器
消滅
 2号墳  円墳  不明  切石積横穴式石室 
未調査・消滅
 3号墳  円墳  不明  木棺直葬
太刀・剣・鉄鏃・甲冑・鏡・櫛
消滅  
 5世紀後半の築造
 4  欠番      西山砦土塁
 5  欠番      西山砦土塁
 6号墓  円形周溝墓  径10〜11m  6基の土壙墓
調査後、消滅
 7号墳  円墳か  不明  未調査・消滅
切石積横穴式石室
 8号墳

            (撮影日2002/4/14)

  撮影日2011/10/22
石室跡が四角く残っている。
  「西山古墳群」と刻まれた石碑が立つ。
  石材は博物館に保管されている。
 円墳  径18m  調査・現存 
 切石積横穴式石室・石材移築
鉄鏃・小刀・刀子・耳環・須恵器
 9号墳
 円墳  (径20m)  調査後、石室は消滅  墳丘は残っている
切石積横穴式石室
鉄鏃・馬具・刀子・針・銅鏡・玉類・耳環・須恵器
 10  欠番      秋常山1号墳となる。
 11号墳  不明 弥生墓か   未調査・消滅
 12号墓

       撮影日2011/10/22
     調査・現存
9基以上の土壙墓群
 13号墳

    撮影日2011/10/22
 墳丘の上には丸石の墓がある。
 円墳 径20m   一部調査・現存
須恵器
 14号墳  円墳 径14m   未調査
 15  欠番      横穴墓とされているが確認できない
 16  欠番    横穴墓とされているが確認できない
 17号墳

     撮影日2011/10/22
 円墳  (径14m)  未調査
 18号墳

     撮影日2011/10/22
 円墳  (径14m)  未調査
 19号墳

    撮影日2011/10/22
 説明板の左側
 円墳  (径15m)  未調査
 20号墳

      撮影日2011/10/22
   説明板の右側
 円墳  (径20m)  一部調査・現存
河原石利用の埋葬施設
須恵器・鉄鏃・刀子 
 21号墳  円墳  (径15m)  調査
埋葬施設はすでに消滅                
 22号墳  円墳  (径12m)  調査
埋葬施設はすでに消滅
 23号墳

     撮影日2011/10/22
 違うかも・・・・
 円墳  (径14m)  未調査 5世紀後葉〜末の築造
土師器
 24号墳  円墳  (径14m)  未調査 5世紀後葉〜末の築造 
土師器
 25号墳

     撮影日2011/10/22
  25号墳のあたり(確定できなかった・・・・)
 円墳  (径14m)  未調査
南尾根土壙墓群     7基以上の土壙墓群
未調査・現存 


9号墳として掲載していたが、これは9号墳ではないようだ
     撮影日2011/10/22

 土取りで石室が半壊し、現在は石が散乱している。 
古墳だと思うが、当てはまる古墳名は不明だ。
       

2002年4月の西山古墳群

(撮影日2002/4/14)

能美古墳群の西の端は辰口町に掛かっている。
西山の上り口は墓地となっていて、やはり昔から神聖な場所と認識されていたらしい。
墓地の後ろに古墳が散在しているのだが、草ぼうぼう状態で、「西山古墳群」と書かれた石碑がひっそりと建っているだけだった。
3基の弥生時代の方形周溝墓と13基の円墳が築かれている。

西山8号墳(?)の上に立つ石碑
西山8号墳の横穴式石室は金沢の近代文学館の庭に復元されていたが、
最近能美市に戻ったという。

方形周溝墓の12号墳から、人の図柄が刻まれた石、
3号墳から、冑・短甲・銅鏡・首に馬の図柄があるはそう(須恵器)・直刀・銀環・馬具・ガラス玉・管玉などが
出土した。

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