北村さんちの遺跡めぐり
白山市 地図g
鳥越城跡附二曲城跡 トリゴエジョウセキ ツケタリ フトゲジョウセキ 国史跡 |
石川県白山市三坂町・釜清水町 |
鳥越城・二曲城は織田信長の攻勢に最後まで抵抗した、白山麓の一向一揆の拠点となった城跡だ。
鳥越城は手取川とその支流大日川に挟まれ標高312mの丘陵上に築かれた山城で、
二曲城は大日川の対岸に相対する標高268mの独立峰上に築かれた山城である。
二曲の地は白山麓門徒の指導者であった鈴木(二曲)氏の本拠地で、二曲城は山麓の通称「殿様屋敷」の館に居住した鈴木氏の砦だった。
鈴木出羽守は鳥越城を砦に本願寺山内門徒(山内衆)を引きつれて織田信長と最後まで勇ましく戦った武将だ。
最初、お城は二曲城だけでよかったが、鈴木出羽守が山内衆の大将となって織田信長と戦うには、
第二の城が必要となり、二曲城の向かい側の山に鳥越城を建てた。
天正8年(1580)、鳥越・二曲城は落城するが、山内衆の抵抗は終わらない。
翌年、山内衆が、鳥越・二曲城を奪還。が鎮圧。
さらに翌年、もう一度、山内衆が、鳥越・二曲城を奪還。がこれも三百余人の磔で鎮圧されてしまう。
白山麓には、その後しばらく人影が見られなかったといわれている。
二曲城跡 |
食彩館「せせらぎ」のおばさんに二曲城跡の登り口をきき、山登りを開始する。
山登りといっても、10分くらいで頂上に到着。
二曲城跡登り口
任誓墓地公園となっている。
任誓は二曲村に住んでいた浄土真宗の僧侶で、
1656年ころに生まれたとされる人。
門跡
登り口から少し先に
行く手を阻むようにある。
二曲城は、1570年ごろ築城された鳥越城より以前から、砦だったが、鳥越城を築城するとともに、
二曲城も拡幅された。
平坦に削平された頂上
本丸跡
付近では
石敷路や腰郭・空濠の遺構が確認されている。
今後も調査が進められるそうだ。
二曲城は、鳥越城から大日川の対岸に相対する標高268mの独立峰上に築かれていて、山頂は平坦に削平されている。
二曲城跡(本丸)より鳥越城跡を望む
上の写真の拡大すると
鳥越城跡の本丸門が見えている。
鳥越城跡 |
頂上付近まで自動車で登れるようになっている。(山登りはしなくてよい)
鳥越城は手取川とその支流大日川に挟まれ標高312mの通称城山とよばれる丘陵上に築かれた山城だ。
1570年ごろ、築城された。
復元された本丸門
門をくぐると本丸跡がある。
本丸跡は標高312mの城山の頂部にあたる。
建物が6回の建て替えられたことを示す礎石が確認された。
鳥越城跡での出土品は
石臼・茶臼、鉄釘、銅銭、越前焼の甕、漆塗碗、中国製磁器
鉄砲玉、小刀、鎧断片などの武具類がある。
食料の米・粟は炭化した状態で多量に出土した。
井戸跡北側から金板片が見つかった。
鳥越城主要遺構図(説明版から)
鳥越城は、
本丸・二の丸・三の丸・後三の丸と5つの郭、3つの腰郭によって構成されている。
掘立柱建物跡や石垣なども確認され、一向一揆や戦国城跡の研究の貴重な資料となっている。
鳥越城跡から二曲城跡を望む。
真ん中の山の先端近く、
平らになったところが二曲城跡。
鳥越城跡から望遠で二曲城跡を撮りました。
さらに拡大すると、
頂上に一人の見学者が確認できる。
道の駅「一向一揆の里」 |
白山市出合町甲36 |
鳥越城跡と二曲(フトゲ)城跡の間の田んぼの中に道の駅「一向一揆の里」がある。
鳥越一向一揆歴史館と農村文化伝承館と食彩館「せせらぎ」の3つの建物がある。
まず、食彩館「せせらぎ」にて手打ちそばをいただく。
結構いける味でした。
横にある特産品直売所で「キクイモ」を買う。
「キクイモ」は糖尿病などの予防に効果があるとか・・・・・。
夕食は「キクイモ」のキンピラ。不思議な食感を楽しんだ。
鳥越一向一揆歴史館 全国的にみた一向一揆の資料や、国指定史跡「鳥越城跡附二曲城跡」からの出土遺物を展示。 農村文化伝承館 鳥越地域の農村の暮らしを紹介。昭和初期の農具・民具の展示。方言を用いての民話は、必見。 食彩館「せせらぎ」 手打ちそば処。地域特産品直売所。
樹木公園 |
石川県白山市三宮町ホの1 |
石川県林業試験場内にある公園で、広大な敷地には県内を代表する様々な樹木が植えられている。
芝生広場を中心に、花木園、針葉樹林、郷土の森、落葉広葉樹林、常緑広葉樹林、特用樹林、桜椿園、日本庭園などが配置され、
その中に、800種、15,000本余りの樹木が植えられている。
サクラは約130品種、約900本、ツバキは約140品種、850本が植えられている。
また季節ごとに移り変わる野生植物やキノコ、そして野鳥やカモシカ、リスなどの動物を見ることができるのも特色の一つ。
樹木公園の満開の桜
樹木公園の満開の桜
手前は、満開のユキヤナギ