北村さんちの遺跡めぐり

白山市    地図g

徳光聖興寺跡

白山市徳光
(撮影日2011/2/23
2012/3/3)

現在、加賀の千代の遺品などを納めた遺芳館がある白山市中町の「聖興寺」は、
元は白山市徳光にあった。
海岸近くの田んぼの中に史跡として残されている。


「徳光聖興寺跡」と刻まれた立派な石碑。


明応3(1494)年に創建されたと伝えられている。地頭徳光氏の館跡に接している。
この後 宮保に移り、その次に現在の場所に移った。


徳光聖興寺跡
撮影日2012/3/3




徳光聖興寺跡
撮影日2012/3/3




    

松任金剣宮
マツトウカナツルギグウ
茅の輪くぐり
「夏越の大祓」

白山市西新町
2014/6/29
2014/7/1

松任城の「西北隅」の石碑がある松任金剣宮には6月29日に行ったが、境内では氏子の方々が、何やら大きな輪を作っていた。
なんだろうと思っていたら、7月1日の北陸中日新聞に「茅の輪くぐり」の記事が掲載された。
茅の輪くぐり」の輪を作っていたのだ・・・・。
本番は6月30日に行われたようだが、翌日も茅の輪があると書かれていたので、、茅の輪くぐりをしてきました。

松任金剣宮

社記によれば、創立は717(養老元)年。
武門武将の崇敬が厚く、
   松任城主鏑木氏の社殿造営によって壮麗を極めたといわれている。
社殿の前にあるのが「茅の輪」

「茅の輪くぐり」は正式にいうと、今年の前半の心身の穢れを払う神事「夏越(なごし)の大祓」である。

茅の輪
この輪を左回り、右回り、左回りの順で、
   「8の字」を描くようにくぐりぬけてから参拝する。
今年前半の穢れをお祓いしていただいたので、
      暑い夏も元気に過ごせそうだ!
白山市には鶴来日詰町にも金剣宮があるが、こちらは「キンケングウ」と読む。
(実はこちらの方が有名だ)  

安田春日神社 白山市北安田町
撮影日2018/10/21

近所の紹介。
社殿前にずっと佇む女性がいたので、社殿の写真はない。社殿は比較的新しい。
宮司は、「鏑木」氏、近郷の神社の宮司も兼務されている。

 祭神は
  武甕槌命(タケミカヅチノミコト)  齋主命(イワイヌシノカミ)  天兒屋根命(アメノコヤネノミコト)
  比賣神(ヒメガミ)  白山比盗_(シラヤマヒメガミ)  建御名方神(タケミナカタシン)
  應神天皇  菅原道眞
 平安時代、寛平5年(893)に、
  国司有佐王が大和奈良の春日明神の御分霊を鎮斎して山島郷の守護神とし、
  総社安田春日大明神と称されたのが、当神社の創まりである。
 鎌倉時代、承久年間(1219〜)に、
  守護職富樫忠頼の支族安田三郎惟光が、当地に居館して社殿を造営し、
  惟光の兄光茂の孫、弥二郎家朝が神田を寄進した。
 天正年間(1573〜)兵火のため社殿旧記宝物などが焼失したので、
 松任城主鏑木岩見守頼信がその荒廃を嘆き、社殿を造営し神宝を納め、支族宝蔵院永寿を別当とした。
 その後裔が連綿として奉仕し、明治維新の際復飾して神職となった。
 明治5年4月、小字南出の八幡社・高見の諏訪社・北出の菅原社・舟橋の白山社が
  当社境内に夫々移転鎮座されたが、のち大正15年に本殿に合祀された。
 明治34年9月4日、郷社に列せられ、明治39年12月29日、神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
 明治42年11月29日、暴風雨のため老松(清龍松・弘化元年前田藩主の命名)が倒れ社殿を圧潰したので、
  翌43年11月本殿・拝殿が改築され、大正13年に社務所が建設された。
 昭和61年12月、屋根葺替を主とする、拝殿修復工事が竣工され、平成元年2月、社務所を新築した。
    (由来碑から)

鳥居

青龍松(神木)

さざれ石

橋爪の夜泣き石

山神さま跡地 旧鳥居の笠木の一部がある。

磐持石    力比べの石 重さ60kg

歴史のある神社らしく、謂れのあるものがいろいろある。

明達寺 白山市北安田町
撮影日2018/10/21

八角形の建物があるという。
夕方で、写真が暗い・・・。

 真宗大谷派の明達寺は、
  明治から昭和にわたり幾多の宗教書の著述や真宗思想の普及に努めた
    高僧暁烏敏(アケガラスハヤ)の生誕の寺。

 境内には敏が生涯師と仰いだ清沢満之(キヨザワマンシ)の遺徳を偲んで、
  木像を安置するために法隆寺の夢殿を模して建立した臘扇堂(ロウセンドウ)がある。
 有名な「十億の人に 十億の母あらむも わが母にまさる はゝありなむや」歌碑、
  「一期一会 秋のみそらの雲早し」句碑、
  敏と親交の深かった高濱虚子の「秋晴れや 盲ひたれども 明らかに」句碑、
  敏の弟子・野本永久の「笹鳴や 南面したる 盲詩人」句碑がある。

臘扇堂(ロウセンドウ)

十億の人に 十億の母あらむも
わが母にまさる はゝありなむや

白山市では、暁烏敏の優れた功績を讃え末永く顕彰するとともに、
 伝統文化の継承発展と21世紀を担う青少年の健全育成を図り、有為な人材の輩出を願って
 「暁烏敏賞」を設け、国内外より懸賞論文を募集している。

相川神社(古墳)
そうごじんじゃこふん
中相川古墳群

松任市相川町
(撮影日2003/9/7 )

10〜15mの円墳3基が存在していた。
社殿を初めて建てるとき、2つの古墳を破壊したという。
今は、古墳の痕跡も残っていない。


相川神社全景
「相河加茂神社」と「相川八幡神社」の2つの碑が建つ
松任の海岸近くに相川神社がある。
祭神は
 別雷神(加茂)、大己貴命(大国主命)、応神天皇(八幡)、少彦名命(薬師)
5世紀末と6世紀後半の2時期にわたる古墳と考えられている。
      


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