北村さんちの遺跡めぐり

加賀市   加賀市の地図g    

弓波遺跡 現地説明会 加賀市弓取町・八日市町
撮影日2016/9/22
11/27

現地説明会は 2016/9/22が第一回目、2016/11/27が第二回目。

弓波遺跡 現地説明会第一回 撮影日2016/9/22

小雨の降る中、現地説明会開始!
弓波遺跡は、JR加賀温泉駅から東へ1.5km、八日市川と尾股川の合流部周辺に広がる、弥生時代から中世にかけての遺跡
これまでに圃場整備や農道整備などで発掘調査が行われているが、今回は北陸新幹線建設と河川改修工事に先立ち発掘調査。

調査区配置図

今回はI区とG区の見学だが、
F区では、古墳時代後期の古墳(円墳)
      弥生時代後期の溝、古墳時代の溝、
H区では、弥生時代の溝、
      中世の井戸、
      八日市川の旧流路などを確認した。
F区・H区にはすでに草が生えている・・・・。 (埋め戻されたのか)

 I 区

I 区では
弥生時代の方形周溝墓2基、木棺墓5基、布堀建物5棟
古墳時代中〜後期の土器を出土した古墳(方墳)1基
古墳時代末〜奈良時代初めころの掘立柱建物15棟
平安時代の井戸1基
鎌倉時代か室町時代の井戸3基
などを確認

弥生時代では、調査区の北側は主に墓域、
南側は布堀建物などの居住域だったと思われる。


I 区
手前が方形周溝墓1

奥が方墳


墳丘長辺20m位で、周溝がある。

方墳の周溝にある井戸付近発掘中 遺物がゾクゾク

掘立柱建物跡

木棺墓3とそばの井戸
井戸は崩れないように横板組みがされていた。

方形周溝墓2

弓波遺跡の一番の成果は、古墳が確認されたことだそうだ。

 G区

 G区 遺構概略図
  弥生時代後期の溝1条、平地式建物1棟、
  古墳時代末〜奈良時代初めころの掘立柱建物18棟、井戸1基などを確認した。

 G区東側には桁行2間×梁行2間の倉庫とみられる建物が多く分布し、
    西側の建物群とは分けられる可能性がある。

掘立柱建物跡

弥生時代後期の溝
この溝から多くの土器が出土した。
勾玉も出土

    

 F区

F区で確認された円墳

F区の発掘は終わっているが、現説現場に写真があった。

現説現場には出土品の展示がある。その一部を紹介する。

 縄文時代の出土物


左・石錘  右・磨製石斧

縄文時代のもの

   

 弥生時代の出土物

左上・弥生土器壺、 右上・弥生土器蓋
左下・弥生土器壺、 右下・弥生土器甕

いずれも弥生時代後期・3世紀

弥生時代の土玉

弥生時代後期・3世紀


左・勾玉   右・管玉

いずれも弥生時代後期・3世紀


勾玉は、
G区の溝から出土した。

    

 古墳時代の出土物

須恵器甕

古墳時代後期(6世紀)

左側の二つは須恵器 ハソウ
右側の二つは須恵器壺

いずれも古墳時代中期(5世紀)

左側2点は瓦 上・平瓦  下・丸瓦
 (古墳時代末・7世紀)  

右2点は円筒埴輪 
 (古墳時代後期・6世紀)

上段左から
土師器碗、須恵器蓋、須恵器蓋、須恵器器台
下段左から
須恵器坏、須恵器坏、須恵器坏
(いずれも古墳時代後期・6世紀

弓波遺跡の今までの調査の結果をまとめると
縄文時代・・・土器や石斧・石垂が少量出土
弥生時代後期・・・居住域と方形周溝墓や木棺墓からなる墓域が近接して形成されていた。
古墳時代・・・後世の開墾により墳丘が削られた古墳が2基確認された。
古墳時代末〜奈良時代初め・・・掘立柱建物からなる集落が形成されている。
調査地北200mに位置する弓波廃寺(白鳳時代・7世紀後半ころの創建)と関連か?
奈良・平安時代・・・I区の方墳の脇で平安時代の井戸が1基確認されただけ。
鎌倉・室町時代・・・H・I区で井戸を確認したほか、D区では掘立柱建物が検出されている。

弓波遺跡 現地説明会第2回 撮影日2016/11/27

1回目は小雨だったが、今回は本格的な雨。
建物の中で、説明と出土品の見学をしてから、隣接している発掘現場の見学。

 今回の発掘調査の成果
 今回の発掘で、弥生時代後期以降、古墳時代前期にかけて
        石製品を製作していた集落があったことが明らかになった。


 北約1kmにある「片山津玉造遺跡」や南東約2kmにある二子塚東田遺跡などで、
    古墳時代前期に碧玉を使用した石製品を製作していた遺跡として知られてきた。

 今回の弓波遺跡での管玉などの石製品製作地点の発見から、
    江沼盆地での石製品生産の開始時期が、弥生時代にさかのぼることが新たに判明した。

 A区出土の石製品製作関連の出土品

(弥生時代)

(古墳時代)

(弥生・古墳時代)

(弥生時代)

弓波遺跡は、JR加賀温泉駅から東へ1.5km、八日市川と尾股川の合流部周辺に広がる、弥生時代から中世にかけての遺跡
これまでに圃場整備や農道整備などで発掘調査が行われているが、今回は北陸新幹線建設と河川改修工事に先立ち発掘調査。




が、今回の現説現場(第2回)、


は、前回の現説現場(第1回)


    

 遺構検出状況 (現説資料から)
 A区 遺構検出状況
 B−1区 遺構検出状況
B区内東側
 C区 遺構検出状況






平地建物
碧玉を多く出土する平地建物・碧玉集中地点
布引建物
竪穴状遺構
土坑群(粘土採掘坑)
井戸

説明会場では、出土品や写真が展示されている。


発掘で出土した土器群(瓦もある)
弥生時代から中世までのいろいろな土器が出土している。

右側・銅銭 右上・寛永通宝(江戸時代)
右下・宋銭 (鎌倉室町時代)

剣形の石製模造品・臼玉 (古墳時代)

井戸枠(鎌倉・室町時代か)

丸木舟を転用した井戸枠 (弥生時代)

雨の中、発掘現場の見学。


A区 川跡と布掘建物跡


A区布堀建物の完掘状況と柱の復元(写真B)
現説資料の写真から

A区 平地建物群 雨で水没しそうだ・・・。

A区 土坑群(粘土採掘跡)  (写真Cのあたり)


A区 玉造用碧玉原石の建物内の出土状況

出土状況を見学してもらうために
遺物を取り上げずにそのままにしてある。

A区 井戸跡 井戸枠が沈まないように石を敷く


A区 丸木舟転用井戸枠 (写真B)
現説資料写真から

B区 平地建物群  (写真@のあたり)

C区 河川跡内木製品出土状況
現説現場写真から

紹介したのは、一部である。

弓波遺跡のまとめ
縄文時代  縄文土器や石鏃・石斧・黒曜石製の石器が出土。
         調査区周辺に集落域の存在が想定される。
弥生時代  後期の掘立柱建物や布堀建物、平地建物、丸木舟を転用した井戸枠を持つ井戸、
    粘土採掘坑と考えられる土坑群などの集落域を確認している。
 碧玉製の管玉、蛋白石(オパール)性の勾玉未成品、紫水晶や瑪瑙、頁岩の破片など玉製作関連遺物が多く出土。
 後期以降の河川跡を確認し、廃棄された土器が多く出土。
古墳時代  前期は碧玉製の管玉や合子の未成品、ガラス玉など玉製作関連遺物が出土。
 古墳時代後期から奈良時代初めころの掘立柱建物や井戸などの集落域を確認し、
     土師器や須恵器、瓦などが出土。
 川を挟み北側約200mに位置する白鳳寺院の弓波廃寺(7世紀後半頃創建)との関連が注目される。
 また、多量の土器と共に
     ミニチュア土器や剣形の石製模造品・臼玉・刀形木製品などを用いた祭祀行為を行っている
 中・後期以降の河川跡を確認している。
奈良・平安時代  掘立柱建物や畝溝を確認し、土師器や須恵器・瓦などが出土。
 遺構の分布は希薄だが、周辺に寺院の存在が想定される。
鎌倉・室町時代 掘立柱建物や竪穴状遺構、井戸などの集落域を確認し、
    土器や越前焼・加賀焼・珠洲焼・白磁・青磁などの陶磁器、
    砥石や石臼などの石製品が出土。
また、砂利を盛って整地され、両側に側溝を持つ室町時代以降の直線状に延びる道路状遺構を確認し、
   土器や陶磁器、瓦、宋銭などの銅銭や宝篋印塔などの石造物も出土している。

「二子塚東田遺跡」(加賀市)と「藤江B遺跡」(金沢市)の出土物の展示もあった。

 

加賀の遺跡のトップ

トップページ