北村さんちの遺跡めぐり
加賀市 地図g
片山津玉造遺跡 加賀市指定文化財 |
加賀市片山津 撮影日2016/12/3 |
弓波遺跡では、弥生時代後期以降、古墳時代前期にかけて石製品を製作していた集落があったことが明らかになったが、
弓取遺跡の北約1kmには、加賀市指定文化財の玉造遺跡がある。
片山津の温泉街と柴山潟の湖面を北方に望む片山津台地にある。
片山津玉造遺跡の位置
□の部分だけが史跡として保存されている。
他は麦畑となる。
片山津玉造遺跡のある台地の斜面付近には古墳群がある。
片山津玉造遺跡 | 市指定史跡 |
片山津ウワノ古墳群 | 7基 |
片山津本村古墳群 | 円墳1基・方墳1基・不明3基が 確認されている。 |
片山津天神古墳 | 方墳 |
富塚古墳群 | 円墳9基 |
富塚丸山古墳 | 復原径50mの円墳 |
片山津玉造遺跡は 4世紀後半から5世紀前半にかけて古墳時代の玉造りを行っていた遺跡。 昭和34・35年の発掘調査などにより 33基の住居と工房を兼ねた竪穴式住居跡が確認され、玉造工人の一大集落と判明した。 この遺跡では、主に管玉または緑色凝灰岩質の頁岩などを用いて管玉を作っていた。 製作工程は、採石・荒割・形割・側面打製・研磨・穿孔・仕上げの過程を経ている。 管玉の他に勾玉・亀甲状石・円板状石・笠形石・鍬形石などの未成品があり、種々の石製品も作っていた。 玉造りという特殊な性格から、大和政権との関係を解明する糸口となる重要な遺跡 (昭和61年設置の説明板から) |
片山津玉造遺跡 周りは麦畑。 33基もの住居があったというのだから、 大きな遺跡なのだろうが、 30m四方くらいが遺跡として指定されている。 奥の林の中には、片山津天神古墳や富塚古墳群がある。 その向こうは、富塚丸山古墳、弓波遺跡へと続く。 |