北村さんちの遺跡めぐり

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小松城趾
「本丸櫓台石垣」

小松市指定文化財
小松市丸の内 小松市公会堂
2017/11/23

「小松を縦に掘る」の講座に参加の前に、近くにある小松城址の見学。
小松城は、本丸櫓台石垣だけが残っていて、小松市指定文化財となっている。

 小松城の歴史
 「小松城」の資料上の所見は、天正11(1583)年、羽柴秀吉配下の前田利家が、
   柴田勢から「小松之城」を受け取り、これを堀秀政に渡したとする書状である。
 秀吉の時代に村上氏や丹羽氏が居城し、慶長5(1600)年10月より前田氏の有するところとなった。
 ただ、この段階までの小松城の状況は不明で、
   寛永17(1640)年、加賀藩主前田利常が隠居用の居城として整備したのが、
   今に伝えられる小松城と城下の実質的な建設であったと考えられる。
 小松城は、梯川の蛇行によって作られた沼地を利用した平城であり、
    川の水を引き入れた堀の中に8個の島が配置されている。
 城の面積は、金沢城の倍近い約5万㎥に及ぶ広大なものである。
 城地の約30%を堀が占めており、その様は「小松の浮城」とも呼ばれ、
    たぐい稀な景観を持つ名城だった。
 表向きは利常の隠居城だが、
    外敵に対する防備を堅くした渦郭式(カカクシキ)といわれる構造である。
 河川を巧みに利用した反面、水害に対する備えも必要で、
      盛り土の他、随所に堅牢な石垣による護岸を行っていた。
 この名城も、幕末にはすでに取り壊しが始まり、
    明治以降売却や埋め立てなど土地改良が急速に進められた。
 現在地(本丸櫓台付近)は、往時の石垣を唯一実現できる場所である。
 本丸櫓台石垣と北側に隣接している井戸跡が残り、
    西側の道路に面して堀石垣の一部が残存している。
    (櫓台のそばにある説明板から)

小松城配置図 (説明板から)

本丸櫓台付近拡大図 (説明板から)

「本丸跡」の石碑  櫓台の東側


「三の丸跡」の石碑  芦城公園の中にある。

  「本丸櫓台石垣
 本丸櫓台の石垣は、
  金沢産の戸室石(輝石角閃石安山岩)と小松産の鵜川石(角礫凝灰岩)を巧みに組み合わせている
 堅牢な戸室石は、主に角石等の骨格部分に使用し、全体の8割は地元産の凝灰岩である。
 しかし配置は、両石材の色調を考慮した美的効果をねらっていたと考えられる

東から見た本丸櫓台石垣
 

2種類の石を使って
美的効果を演出している石垣


櫓台に上がる石段

石段の下には井戸が保存されている。

本丸跡(石碑)から見た櫓台


櫓台全景  東から
「天守台」と刻まれた石碑がある。


櫓台から東をみると
  小松高校グランドで、その奥は校舎がある。
この辺りも、元は小松城


本丸櫓台の管理者は、小松高校である。


小松城址は、芦城公園にもなっている。

  芦城公園

珪化木 小松市瀬領町産
二千万年前に堆積したもの

錦橋

お茶室 「仙叟屋敷ならびに玄庵」

小松図書館入口に小松市指定文化財の標柱がある。
(市指定文化財の「小松旧記」
「加賀藩御大工渡部家文書」が所蔵されている。
)

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