北村さんちの遺跡めぐり
金沢市 地図g
高尾城跡 |
金沢市法光寺 |
見晴らし台として整備されている。
県教育センターへ行く途中の墓地から、上り口の階段がある。墓地そばに駐車。
300段近くの階段を上る。
後で分かったことだが、この高尾城跡展望台は、県教育センターの敷地内にあるということなので、
教育センターの駐車場に駐車して、センター側の上り口から上ればよかったようだ。
墓地側の上り口の階段を上がる・・・・・ |
階段をどんどん上がる・・・・300段くらい・・・・ |
高尾城跡遺構図 (説明板から) 図の真ん中あたりに、現在展望台がある。 高尾城は、標高190mの丘陵先端部一帯にある山城。 資料には富樫氏の城として多胡城や富樫城などと見える。 長亨2年(1488)の一向一揆(長亨の一揆)によって攻め落とされた加賀国守護・富樫政親の城として知られている。 富樫氏は石川郡富樫郷を本拠地とした加賀を代表する武士団であり、建武2年(1339)に加賀国守護となった。 高尾城は非常時に立てこもる城砦として利用されていたと考えられ、 平時は野々市町住吉町、扇ヶ丘町に所在する守護所(富樫館)で政務を執っていたとされる。 見晴らし台のあるこの地は、通称「ジョウヤマ」と呼ばれる場所で、昭和45年の土取りによってその大半が失われたが、 背後の通称「コジョウ」には現在も城の遺構が残されており、 虎口(入口)や曲輪(削平地)、堀切(尾根を切る堀)、切岸(急な斜面)、竪堀などが確認できる。 ただし、これらの遺構の特徴は、長亨の一揆後の16世紀後半頃に築造されたもので、 元亀年間から天正8年(1570〜1580)の柴田勝家方の侵攻に備えた一向一揆勢が関わった可能性が指摘されている。 (説明板から) |
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高尾城跡 見晴らし台からの景色その1 |
高尾城跡 見晴らし台からの景色その2 |
たまたまこの日は、PM2.5が飛来した日で、霞んでいて、景色がよく見えない。
天気がいいのに、とても残念。