北村さんちの遺跡めぐり
更新日2015/6/21

氷見の古墳その1
氷見市史から
2015/5/3・6

氷見市の代表的な古墳は、柳田布尾山古墳だが、氷見市史には、氷見の古墳が詳しく掲載されている。
なんとたくさんあるのか!!
これを参考にして、氷見市の古墳探索へ・・・・・

地図g

5月の連休中、二日間、氷見市に通う。

 泉古墳群
泉往易古墳群
上庄川流域の古墳群
氷見市泉
撮影日 2015/5/3・6

泉古墳群と泉往易古墳群は、同じ泉丘陵の北西部分と北東部分にある。
宮袋社そばに駐車して、「泉地区古墳群散策コース」という説明板を、探したが見つからず・・・。
(実はこの説明板は、泉往易古墳の登り口にあった。)
仕方なく、泉1号墳(高塚古墳)を目指すが、道がない・・・。
草をかき分け、崖を上り、たどり着いたが、説明板も見て来なかった・・・・・。
泉1号墳は、泉往易古墳のふもとの案内板のところから道が続いている。
もう一度登り直して、ようやく説明板発見!

      泉古墳群・泉往易古墳群 配置図(イメージ図) 氷見市史から作成

以前は、全体を泉古墳群としていたが、
 平成12年(2000)の市史編纂委員会の踏査で、新たに10基発見されたことで、泉古墳群と泉往易古墳群に分けた。
元の泉19・20号墳を泉往易1・2号墳、新たに発見された10基が泉往易3〜12号墳となる。

 泉古墳群 
1号墳
(高塚)
円墳
又は
帆立貝形
長径43m・短径41m・高さ6.25m
または 全長54m・幅45m・高さ7〜8m
または テラスをもった長径45mの円墳
  どこまで墳丘とするかが判別しがたい
墳頂平坦面は長径20m
墳頂部は中央近くと北西側に落ち込みがある。
段築は確認できない 葺石なし 埴輪なし
2号墳 円墳? 南北29m・東西23m 墳頂平坦面は長径13m
3号墳 円墳 径12.5m・高さ2m  
4号墳 方墳 19×17.5m・高さ2m  
5号墳 方墳 17×16m・高さ1.5m  
6号墳 円墳 径8.5m・高さ1.2m  
7号墳
 (猫塚)
円墳 径20m・高さ2m 大正年間(1912〜1916)開墾により遺物が出土と伝えられている
現在は周囲が削平され、不整形な形
8号墳 不明 道路の開削面に周溝断面が露出  9号墳に接する古墳と考えられている
9号墳
 (鶏塚
)
円墳 長径12.5m・短径11.5m・高さ1.3m
墳丘裾を平坦面が廻る
泉古墳群では最も低い位置にある。
大正年間(1912〜1926)、開墾により遺物が出土
水晶切子玉・ガラス製小玉・碧玉製及び滑石製管玉・土器
6世紀代の後期古墳
10号墳 円墳 径10m・高さ1m 自然地形の可能性あり
11号墳 円墳 径10m・高さ1m 自然地形の可能性あり
12号墳 円墳 径10m・高さ1m  
13号墳 円墳 径10m・高さ1m  
14号墳 円墳 径9m・高さ0.6m  
15号墳 円墳 径9m・高さ0.6m  
16号墳 円墳 径20m・高さ1.5m  
17号墳
(鶴塚
)
円墳 径35m・高さ4.5〜5m 大正時代に発掘
勾玉数個・人骨・小玉30数個・直刀2・鉄鏃塊・土器数点が出土
したが、行方不明となっている
18号墳 円墳 径10mのマウンド 自然地形の可能性あり
19号墳 方墳 一辺9m・高さ1.5m  
20号墳 方墳 一辺9m・高さ1.5m  
21号墳 方墳 一辺11m・高さ2m  
22号墳 前方後方墳 全長25m 前方部長さ7m・幅7m
 後方部長さ18m・幅17m・高さ2.8m
くびれ部幅6m
 
23号墳 円墳 径18m・高さ1.2m 自然地形の可能性あり
24号墳 円墳 径10m・高さ0.8m  
25号墳 円墳 径20m・高さ2m  

    

泉往易古墳群
1号墳 円墳 径10m・高さ1m以下の円墳  
2号墳 円墳 径10m・高さ1m以下の円墳  
3号墳 方墳 11.5m・高さ1.5m 尾根先端側にテラスがある。
4号墳 方墳 11.5m・高さ1.5m  
5号墳 方墳 一辺7.5m 大半削平
6号墳 前方後円墳
(帆立貝形)
全長26m
前方部長さ7m・幅9m・高さ1m 
後円部径18m・高さ3.5m
前方部を南に向ける
西側が大きく開削されている
7号墳 不明 土塁状の一部が残るだけ  
8号墳 方墳 7×6m・高さ1.2m  
9号墳 方墳 一辺9m・高さ1.2m  
10号墳 方墳 一辺12m 城郭の遺構の可能性
11号墳 方墳 一辺10m 城郭の遺構の可能性
12号墳 前方後方墳 全長37m 前方部長さ12m・幅14.5m 
 後方部幅24m・高さ3m
 

泉1号墳は、 最初に紹介するが、泉往易古墳群ふもとから、山道をゆっくり歩いて約20分、一番最後に見学する古墳。
1号墳だけに説明板があり、墳丘もしっかり観察できる。

 泉1号墳 (高塚古墳)は  高塚山山頂にあり、 泉古墳群中最高所に位置する。
    (標高83m)

泉1号墳(高塚古墳) 
  南から見る 

  

頂上に大きな墳丘!



泉1号墳
  南東から見る






泉1号墳 墳丘図 (氷見市史から)

長径43m・短径41m・高さ6.25m
または 全長54m・幅45m・高さ7〜8m
または テラスをもった長径45mの円墳

  どこまで墳丘とするかが判別しがたい

泉2号墳は、1号墳を北へ一段下った標高72mにある

2号墳

雑草が繁茂している

 泉9号墳は  鶏塚ともいわれている。  道路脇。民家の横にある。

9号墳
 

はっきりした墳丘
 泉12〜15号墳は  宮袋社の背後につづく標高約22mの細長い丘陵にあり、
     やせ尾根上の丘陵幅いっぱいに4基の円墳が並ぶ

泉12〜15号墳のある丘陵
  南から見る
左から
  12〜15号墳の順に並ぶ。


近年発掘調査され、
  遺物が出土したらしい。
(農作業中の男性の話から)

泉12号墳
 

泉15号墳
 

手前より泉14号墳、13号墳
 泉16〜18号墳は丘陵の西縁にあり、開墾のため改変を受けている。

泉16号墳 径20m・高さ1.5mの円墳

泉18号墳 径10mのマウンド
 自然地形の可能性
 泉17号墳
 径13m・高さ1.5mの円墳とみられてきたが、円形にめぐる段や小道などから、
  元は径35m・高さ4.5〜5mの円墳と推定されている
 大正11年(1922)、上庄村の役場の依頼を受け、泉の青年団により発掘された。
  勾玉数個・人骨・小玉30数個・直刀2・鉄鏃塊・土器数点が出土したが、
   行方不明となっている

泉17号墳 南東から見る。


  鶴塚ともいわれている。  
 泉21・22号墳は、
 2号墳から北へ下降するやせ尾根の鞍部を越えた小さい丘上に南北に並んでいる。



泉21・22号墳 墳丘測量図

上から 21号墳、22号墳





泉21号墳
 一辺11m・高さ2mの方墳
 西側裾と南側裾にテラス面がある
 泉22号墳は、 標高33mにある 全長25mの前方後方墳。
  改変されていてわかりにくい。

泉22号墳 後方部から前方部を見る
 (南から)

泉22号墳 前方部から後方部を見る
 (北から)

次は泉往易古墳群の紹介です。

泉往易古墳群古墳群のふもとにある案内板

青色線や赤色線で示された遊歩道があるが、
 現在は黄色線で示してある道しかないようだ・・・・・・



 泉往易1・2号墳は丘陵北端に位置する。



泉往易1〜2号墳

泉往易1号墳

泉往易2号墳
 泉往易3〜5号墳は山頂部から北東方向へ下降する尾根に一列に並ぶ方墳

泉往易5号墳

よくわからない・・・・・
 泉往易5・6・7号墳


泉往易5・6・7号墳墳丘測量図

6号墳は 全長26mの前方後円墳
   前方部を南に向ける
後円部と前方部の比高差が大きい小型の前方後円墳で、
前方部が短い帆立貝形古墳ともいえる。
標高63mの山頂にある。

「往易古墳」の標柱の上の段の
更に上に、泉往易6号墳がある。

泉往易6号墳 前方部脇から後円部を見る

泉往易6号墳 後円部脇から前方部を見る

泉往易6号墳 後円部から前方部を見る

泉往易8号墳
山頂平坦面の南端に一段下がった位置にある。

泉往易9号墳
尾根の斜面にある
 泉往易12号墳
 全長37mの前方後方墳 前方部を南に向ける
 斜面にあるので、墳丘裾は同一レベルで廻らない。
 後方部後端の尾根側との区画溝は浅い
 前方部と後方部の比高差が大きく、後方部墳頂が後端に片寄っているので、
    城郭関連の遺構という見方もある。

泉往易12号墳 後方部側

泉往易12号墳 前方部側から後方部を見る

泉往易6号墳の手前の3・4・5号墳は、よく分からない
10・11号墳もよく分からない(段状テラスが連続するものだそうだ)
全体的に、藪になっているので、草刈りをしないと、よく分からない・・・・・・。

氷見の古墳その2(氷見市史から) へつづく・・・・

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