:北村さんちの遺跡めぐり
:掲載日2005/1/19

富山へ  2004/11/28

そろそろ外は寒いかねーといいながら、11月末の日曜日、富山方面に出かける。
目的は大塚古墳、日中藤塚古墳、塚越古墳である。
午前11時15分、金沢東インターから高速に入り、富山小杉インターで下りる。
大塚古墳は小杉町に隣接した大門町市井という集落にあるという。
市井の集落内を探して見るが見つからない。
外に出ている人に尋ねたところ道の向こう側だという。
小杉流通団地に入る道の脇に小山が・・・。

富山県の地図g

大塚古墳
富山県指定史跡(昭和40)

射水市(旧大門町)市井屋敷田165
(撮影日2004/11/28)


きれいな形を保つ大塚古墳
直径36.5m・高さ3.5mの円墳だが、
   北側は段丘の崖になっているので高さ6mぐらいあるように見える。
かつて発掘されたといわれているが、詳細は不明。
明治時代には、近くに5基の古墳があったらしいが、消滅した。




大きく見える北側から見た大塚古墳

大塚古墳の住所の小字は「屋敷田」という。昔は大きなお屋敷があったのかな。

大塚古墳の北約200mの所に、生源寺新十三塚古墳があった。(消滅)
1887年(明治20)ごろに発掘され、高岡市太田産出の太田石を使った横穴式石室が確認された。
石室からは人骨2.3人分、金環6、銀環1、勾玉3、小玉1、青丸玉18、太刀1、小刀1、つばの破片2、須恵器1などが出土している。

このあたりには他にも、
  山王宮古墳群(小円墳30基くらい)、五歩一古墳(全長43mの前方後方墳)などがあるらしいが、見学できるかどうかは不明。

大塚古墳のすぐ近くに、国指定史跡「小杉丸山遺跡」というのがあるので、行ってみた。
小杉流通団地の一角が「小杉丸山史跡公園」として保存されている。
飛鳥時代後期の7世紀なかごろの北陸最古の瓦陶兼業窯跡と全国的にも発見数が少ない工人の工房跡と住居跡が発見された。
「飛鳥工人の館」というガイダンス施設もできていて、きれいに整備されていたが、
私達以外には訪れる人もいなくて、さびしいという感じしかしなかった。
このあたりにも古墳群(円墳8)があったが、全て削平された。

時間は12時50分、お腹もすいたけど、日中藤塚古墳の方向に向かう。
途中富山市水橋付近のコンビニで弁当を買い、コンビニの駐車場にて昼食。
迷い犬がいたので弁当の残りを食べさす。
地図を見ると立山町日中の日置神社から北に行くと新藤塚橋というのがある。行ってみると、右側に小山発見。
2時20分日中藤塚古墳到着。

日置神社のこと
延喜式に越中国新川郡として記載されている由緒正しい神社である。
日置部」とは古墳時代から飛鳥時代のころ、「日」あるいは「火」を守るという重要な役割を与えられた人たちの集団。
日本各地に「日置」という地名が残っているらしい。
今度調べてみよう!

   

日中藤塚古墳
にっちゅうふじづかこふん

立山町日中
(撮影日2004/11/28)



直径20m・高さ3.8mの円墳
頂上部から1.8m下に竪穴式石室(東西2.4m・南北1.4m)がある。
石室は白岩川の川原石積で床には小礫が敷かれていた。
石室内部から方格規矩鏡1・鉄剣1・木片2などが出土。
古墳時代中期前半の築造と考えられている。
円墳なのに周りの石垣が四角くなっているのはどういうわけだろう?
ちょっと見たところは方墳にしか見えない。おかしい!

2003年3月に立山町の稚児塚古墳、舟橋村の竹内天神堂古墳に来たが、
竹内天神堂古墳の写真が前よりいいものが撮れそうだったので、立ち寄る。


竹内天神堂古墳全景

建物(神明社)が建っているところは後方部
詳しくは竹内天神堂古墳のページをご覧下さい。
竹内天神堂の近くにあるはずの「塚越古墳」、2003年3月にも見つからなかった。
今回本気で探したけれど、やはり見つからない。

2003年3月、稚児塚見学の折、みつけた2つの古墳のそばをまた通ってみる。

2003/3/22撮影の2つの古墳
当時は看板もなく左・清水堂古墳、右・若王子塚と思った。




当時発掘中だった二つの古墳の間は道路ができていた。
今回、若王子塚の前に案内板が設置されており、左・宮塚、右・若王子塚とわかりました。

若王子塚古墳
わくおうじづかこふん

富山市水橋中馬場
(撮影日2004/11/28)


若王子塚全景
直径46mの円墳。
現状は20m程の円墳にしか見えない。
南側にも直径11mの円墳があったが消滅した。
案内板には古墳としての詳しい説明は書いてない。
このあたりは鎌倉時代から水田地帯として栄えていたようだ。


若王子塚・発掘当時の様子(富山県の歴史より引用)
2000年5月から7月に行なわれた発掘調査では
周溝も発見され、稚児塚に匹敵する大型の円墳であることが確認された。




   


東部
宮塚古墳
みやづかこふん

富山市水橋中馬場
(撮影日2004/11/28)


宮塚全景

若王子塚の隣にあるかわいい方墳。
神明社として保存されている。
詳細は不明。

以前清水堂古墳と思っていたのは宮塚古墳だった。
では、清水堂古墳はどこにあるのだろうか?
若王子塚の南にある水橋清水堂の集落に入り、外に出ていた人に尋ねてみると集落の端に墓地があり、そこだという。
墓場が古墳!
まさしく古墳!
日暮れ直前に清水堂古墳に到着。


東部
清水堂古墳
しみずどうこふん

富山市水橋清水堂
(撮影日2004/11/28)



清水堂古墳(円墳)全景

古墳全体が墓場となっている。
保存はされているけど発掘調査は永遠にできないだろうな。




夕日の中に浮かび上がる清水堂古墳



夕日の中に浮かび上がる清水堂古墳の写真が取れたところで、帰宅の途につくこととなった。
清水堂古墳は傑作である。全体が墓地となった古墳は初めて見た。
また面白い史跡にめぐり合いたいものである。

杉谷古墳群
すぎたにこふんぐん

富山市杉谷
(撮影日2004/5/1)

以前から、古墳があるとされていた杉谷地区は、富山医科歯科大学の建設のとき、発掘調査された。
ここには四隅突出型の古墳があるが、フェンスで囲まれていて姿を見ることはできない(C番塚)。
大学の後ろ側のD番塚と@番塚の間のあたりから古墳の道(遊歩道)に入ります。
注意書きに「マムシに注意」とあるのがちょっと怖い。

   杉谷古墳の道 案内図


後方部の盛り上がり
(林の中 わかるかな・・・・)
一番塚古墳 
全長56mの前方後方墳
前方部長さ約35m高さ1m
後方部長さ21〜22m高さ3m
周溝で囲まれ、現在でもその一部が残っている。
婦中町の王塚・勅使塚より古い。
古墳発生期に造られた。
2番塚古墳
約16m四方の方墳
高さは約3m
周りに幅約3m深さ1mの周溝が確認されている。
古墳発生期に造られた。

墳丘の真中に遊歩道がある
8号墳
一辺30〜35m高さ2mの方形墳
自然の尾根を四角く削り取って作られている。
中央部に埋葬施設があり、
大きなもの(長さ5.4m幅1.2m)とその側に小さなものがあり、
複数の人が埋葬されたと考えられている。

墳丘の真中に遊歩道がある
9号墳
長辺28m短辺20m高さ約1.5mの長方形墳
尾根の両側を約7m切断して、墳丘を造り出している。
中央に長楕円形の埋葬施設がある
(長さ5m幅1.2m)
4号墳 後述
3番塚 直径約25m高さ2.5mの円墳
5号墳 2番塚と同じくらいの方墳
7号墳
一辺10m高さ1mの方墳(方形周溝墓の可能性もある)
4号墳の南にある小さな方墳。
6号墳

一辺50mの方墳
築造年代を特定できるような資料は出土していない。
4号墳が弥生終末期?古墳時代草創期頃の築造なので、
古墳初現期の大型方墳ではないかと考えられている。
墳丘に貼り付けていたと思われる「石敷」と見られる石材も出土

杉谷群集墳 室町時代(14〜15世紀)の塚
一辺3〜4mから10mの方形の平面形の塚が27基発見されている。
密教の加持祈祷の場としての
  「三十三塚」として築かれたものと考えられている。


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