北村さんちの遺跡めぐり
掲載 2003年

富山・2003年 2003/3/22
2003/5/3
2003/5/18

2003年に見学した富山の遺跡をまとめました。
2003/3/22   稚児塚・竹内天神堂古墳・水橋の古墳群
2003/5/3    若宮古墳
2003/5/18   桜谷古墳・柳田布尾山古墳

富山県の地図g

竹内天神堂古墳
たけのうちてんじんどう

中新川郡舟橋村竹内
(撮影日2003/3/22)

古墳としての案内板はない。いい写真が撮れなかった。知らないと古墳とは思わないだろう。


竹内神明社の石碑

全長30m余りの前方後方墳
後方部は一辺10m、高さ約5mの方形。西側に低い前方部がついている。
神社が建てられたため墳形はかなりくずれている。
3、4世紀(古墳時代前期)の築造と推定。



   

稚児塚(県史跡)
ちごつか

中新川郡立山町浦田字前田
(撮影日2003/3/22)

寺田駅と稚児塚駅の中間で、線路に接するようにある。

稚児塚正面
高さ7.2m、底部の直径が46.8mの円墳
頂部が平らな断頂円錐形をしていて、古い形を残している。
葺石で覆われ、周囲には濠があった。古墳時代中期の築造と推定。

写真の手前は富山地方鉄道の線路だ。

墳頂には大木の根っこが残っている
頂部には
かつて樹齢300年の高さ25m胴回り9mの大杉がうっそうと茂っていたが、
昭和48年に枯死した。 

稚児塚全景
濠跡の水田が、そのまま丸く塚を囲んでいる。
濠の幅は15〜17mもある。

稚児塚正面には、山王社稚児塚奉賛会の人たちが書いたとっても長い説明板がある。
見学に行ったらじっくりとお読みください。

水橋の古墳群

富山市水橋
(撮影日2003/3/22)

ドライブ中に見つけた古墳。2つの古墳の間は発掘調査中。

何という古墳か分からなかったが、
後で
左 宮塚古墳     右 若王子塚古墳
と分かる


若宮古墳 小矢部市埴生
撮影日2003/5/3

埴生には「倶利伽羅源平の里埴生口」というポケットパークが造られ、
 倶利伽羅峠に付いて学ぶことが出来るようになっている。
遺跡の地図もあり、このあたりを散策する時はまず立ち寄ってみよう。

ポケットパークの横に108段ある(偶然居合わせた子どもたちが数えて少し足りないといっていたが)石段があり、
その上に埴生八幡がある。

埴生八幡神社本殿(国指定重要文化財)
1600年、前田利長が大聖寺出陣に戦勝祈願して寄進した。
戦国から江戸時代にかけての貴重な資料が保存されている。


小矢部市の西側の丘陵沿いには、谷内古墳群・関野古墳群・若宮古墳などの古墳がある。
築造年代は、
谷内16号墳(3世紀前半)→関野1号墳(4世紀中頃)
     →谷内21号墳(5世紀前半)→関野2号墳(5世紀前半)→若宮古墳(6世紀初頭)
と推定される。

埴生八幡から50m南に医王院の山門がある。
その横を抜けたところの墓地の後に若宮古墳がある。

若宮古墳全景
手前が前方部。
全長約50mの前方後円墳
後円部径約28m・くびれ部幅約11m・前方部約19m
6世紀初頭の築造
後円部から前方部を見る。夫の父とともに。
後円部中央に埋葬施設(竪穴式)があり、太刀などの副葬品を確認した。
棺の形は不明。
後世は、八幡神社の関連施設として再利用されていたらしい。

    

桜谷古墳群
さくらだにこふんぐん
高岡市太田字桜谷
撮影日2003/5/18

天晴海岸から山の方へ行ったところ、二上山の北西側に海に接するかのように、桜谷古墳群がある。
古墳時代前期の終わりごろから後期まで連綿と古墳が作られてきたことが調査の結果わかってきたようである。




桜谷2号墳から富山湾を望む

眼前に氷見平野が広がっているが、
築成当時はすぐまじかに氷見湖があったと推定されている。



配置図
元は諏訪社があった場所で、銅鏡・碧玉が出土して古墳と判った。
調査の結果、前方後円墳2基、円墳7基が確認され、前方後円墳2基(5世紀初頭以前の築造と推定)が保存された。
出土品は、碧玉製紡錘車・同石釧・同管玉・花文鏡・金環・金製帯金具・刀・土師器・須恵器・人骨など多数。


桜谷1号墳


「私」は後円部(左側)に立っているけどわかるかな?
古墳の上部だけ整備されているので、平べったく見える。


桜谷1号墳は
全長62mの前方後円墳

前方部幅30m・高さ5.45m、
後円部径35m・高さ6m。
5世紀初めの築造。(古墳時代前期の終わり〜中期初め)



桜谷2号墳から見た1号墳





桜谷2号墳

全長50mの帆立貝式の前方後円墳
前方部幅不明・高さ1m、
後円部径33m・高さ6m。
4世紀末から5世紀初めの築造。(1号墳より少し古く前期の終わりごろ)
墳形はくずれて、巻貝のような形をしている。

 3号墳  1号墳の西に接する台地先端部にあった。
 金環5・ガラス小玉17・刀剣破片7・土師器杯・人骨など出土
 古墳時代後期の築造
 4・5・6号墳   1号墳と2号墳の間の谷に面した円墳だったが、内容不明のまま消滅
 7号墳  太田石を用いた石室があったらしいが、人知れず破壊
 鉄鏃・金銅製帯金具が出土。
 古墳時代中期後半
 奈良県の新沢千塚126号墳出土の帯金具とモチーフが似ている。
 8号墳  大田石を用いた横穴式石室(全長6.7m幅約1.7m)を持つ。
 9・10・11号墳   詳細不明

昭和52年、1.2号墳の横に道路が通ることになり、調査をしたところ、
  新たに円墳1基と箱式石棺2基が発見され、その上に陸橋をかけて保存した。

陸橋の下に保存された円墳
52-1号墳
保存するためだけにこの陸橋が造られた。
おもしろい!
2つの箱形石棺が確認された。
石棺材は太田石
鉄矛1・金環が出土
6世紀の築造(古墳時代後期前半)

   

柳田布尾山古墳
やないだぬのおやまこふん
氷見市柳田
撮影日2002/4/7
2003/5/18

2003年5月18日
 1998年に発見されて、100mを越す前方後方墳として、新聞をにぎわした。
 一度見に行きたいと思っていた。
 氷見の市街地から東南に約3kmのところに柳田と言う所がある。
 大きなパチンコ店と道路を挟んで横に老人ホームの建物がある。
 その裏山がこの古墳だ。

柳田布尾山古墳・全景
            ( 撮影日2003/5/18)

大きいので全体を撮るのが難しい。
2枚の写真を合成してようやく出来た写真だ。
林のすき間から墳丘が見える。

築造から1600年も経っているとは思えないほど
きれいな形をとどめている。

柳田布尾山古墳・くびれ部附近
           ( 撮影日2003/5/18)
後方部には盗掘の穴があいている。
発掘調査が行なわれたが、
注目されるような出土品はなかったようだ。

柳田布尾山古墳
   
後方部から前方部を見下ろす

         ( 撮影日2002/4/7)
石川県の秋常山古墳を思い出されるきれいな墳形である。
後方部の埋葬施設のあたりがビニールシートに覆われている。

越中の遺跡トップページ

トップページ