北村さんちの遺跡めぐり
更新日2015/9/5
越後の旅7
妙高市・斐太民俗資料館から撮影日2015/5/24
5月25日、越後の旅・第3日目、最終日。
長岡市・上越市の古墳を探索後、妙高市へ
斐太歴史の里を行く 斐太民俗資料館 |
妙高市一階地1123-6 撮影日2015/5/25 |
斐太民俗資料館は、月曜日なので休館のはずだったが、土地改良区の事務所と併設になっていて、
職員の方が「せっかくいらしたのですから、見学していってください」と資料館の鍵を開けてくれた。
パンフレットをいただく。ありがとうございました!
11時半ごろ 斐太民俗資料館 着。
斐太民俗資料館では
時代の異なる3つの国指定史跡
(斐太遺跡群、観音平・天神堂古墳群、鮫ヶ尾城跡)を中心に近辺の遺跡について紹介されている。
散策コース案内図
(パンフから)
国指定史跡 鮫ヶ尾城跡 (戦国時代・16世紀後半) 「御館(オタテ)の乱」決戦の地 鮫ヶ尾城は、戦国時代、上杉氏の領国である越後を他国の軍勢から守る上で重要な役割を果たした。 上杉謙信の死後、家督相続争いである「御館(オタテ)の乱」では、敗走する上杉景虎が当地で自害し、 越後を二分する内乱の勝敗が決した。 遺跡からはこの時の戦火によって焼けた陶磁器や炭化したおにぎりが多数出土している。 |
国指定史跡 観音平・天神堂古墳群は 標高50~150mの丘陵地帯に、県下で一番規模が大きく、保存状態がよい群集墳。 6~7世紀ころの築造と推定されている。 径5~30mの円墳が大部分で、内部構造は、石室のあるものとないものがある。 天神堂地区に118基、観音平地区に40基が分布している |
この後
万五郎古墳・斐太遺跡・観音平古墳群・天神堂古墳群の見学に行く。
万五郎古墳 (梨ノ木古墳群1号墳) 市指定文化財 |
妙高市梨ノ木 撮影日2015/5/25 |
史跡公園として保存されている。 11時45分 着。
万五郎古墳は 古墳時代後期に築造された径約16mの円墳。 昭和50年に発見されて、発掘調査された。 南側に入口がある横穴式石室は 全長約7m・幅約1.6m、巨石を使用して構築されている。 出土遺物は碧玉製の管玉や土師器、須恵器など。 前庭部で鳥居状施設と建物跡を示す柱穴が発見されている。 万五郎古墳平面図 (説明板から) 石室の正面には、 死者を葬ったときに 儀式が行われたと思われる建物(遺構A)や 門状の柱(遺構B)の跡が発見され、 墓前堂や鳥居を連想させる施設を伴うという 全国でも例のない珍しい古墳だ。 |
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万五郎古墳 墳丘らしいものはほとんどない・・・・。 |
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石室入口側から見る |
奥壁側から見る |
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万五郎古墳の出土品 (斐太民俗資料館展示から)
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LAWSON妙高柳井田店(妙高市柳井田町4-4-3)で弁当を買い、斐太遺跡で食べることとする。
斐太遺跡 国指定史跡・斐太遺跡群 |
妙高市宮内ほか 撮影日2015/5/25 |
斐太神社そばに駐車場がある。
少し登った「古代住居の丘」(史跡公園)と名付けられたところが斐太遺跡。
ベンチで食事。
総合案内所があり、ボランティアの方からおいしいお茶を頂いた。
斐太遺跡周辺は、斐太健民休養地「斐太歴史の里」となっている。
山道を30分ほどのぼると、標高183mの鮫ヶ尾城遺跡(国史跡)があるが、今回はパス。
「延喜式」式内社斐太神社 |
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斐太神社 社殿 |
斐太神社境内社 雁田神社 安産の神様 |
斐太遺跡は、「弥生の山城」ともよばれる2世紀後半~3世紀初頭の高地性の集落遺跡で、 当時の竪穴建物跡が浅い窪みとして130箇所以上残っている。 外敵から集落を守るための空壕の跡も浅い段となって残っている。 斐太遺跡全体図 (説明板から) 小さな谷をはさんで南北に細長い丘陵が二つ並び、 それぞれ丘陵上に弥生時代後期から古墳時代初期にかけての竪穴住居跡が見られる。 この遺跡は住居跡群全体を取り囲むようにめぐらされた環壕跡が残っていることから、 軍事的集落であったとも考えられている。 |
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斐太遺跡 案内石碑 |
斐太遺跡 竪穴住居跡 |
斐太遺跡 環濠跡 |
宮内招魂社 斐太神社の奥の院かと思ったが、違った |
観音平古墳群 国指定史跡 観音平・天神堂古墳群 |
妙高市大字宮内・青田 撮影日2015/5/25 |
観音平古墳群登り口に、13時20分 着。
観音平古墳群登り口
駐車場がある。
説明板がある
「国指定史跡 観音平・天神堂古墳群」の中の観音平古墳群は、 現在53基の古墳が確認されている。 最高所にある1号墳は 26.8mの前方後円墳 4号墳は 33.6mの前方後円墳 観音平古墳群 全体平面図 (説明板から) 右が北となる。 |
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観音平古墳群 29号墳 |
観音平古墳群 37号墳 |
観音平古墳群 38号墳 |
観音平古墳群 19号墳 |
観音平古墳群 17号墳 |
観音平古墳群 16号墳 |
観音平古墳群 13号墳 |
観音平古墳群 9号墳 |
観音平古墳群 10号墳 |
観音平古墳群 手前が7号墳、奥が6号墳 |
観音平古墳群 左手前より6号墳、5号墳 |
観音平古墳群 6号墳 |
観音平古墳群 5号墳 6号墳(東・)から見る |
観音平古墳群 5号墳 西(高いところ)から見る |
観音平古墳群 5号墳から4号墳を見る |
観音平古墳群 4号墳 前方部から後円部を見る |
観音平古墳群4号墳 後円部から前方部を見る 右奥は5号墳 |
観音平古墳群 4号墳 後円部 |
観音平古墳群 手前から3号墳、1号墳 |
観音平古墳群1号墳実測図 (説明板から) |
観音平古墳群 1号墳 前方部手前から後円部を見る |
観音平古墳群 手前から1号墳後円部、前方部、3号墳、4号墳 |
天神堂古墳群 国指定史跡 観音平・天神堂古墳群 |
妙高市大字宮内・青田 撮影日2015/5/25 |
こちらはとくに駐車場はない。
天神堂古墳群 登り口
「国指定史跡 観音平・天神堂古墳群」の中の南に位置する天神堂古墳群は、 現在のところ106基が確認されている。 最高所の1号墳は方墳、その他は全て円墳で群集墳と考えられている。 大正時代と昭和30年代に、4基の円墳が発掘調査され、 木棺直葬といわれる埋葬方法と判明し、鉄剣や勾玉などが出土している。 天神堂古墳群 配置図 (説明板から) 右が北となる。 天神堂古墳群の出土品 (斐太民俗資料館内展示から)
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天神堂古墳群 |
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天神堂古墳群 105号墳 周溝あり |
天神堂古墳群 98号墳 |
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天神堂古墳群 90号墳 |
天神堂古墳群 59号墳 |
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天神堂古墳群 79号墳 |
天神堂古墳群 |
ここは本来、ササユリやカタクリの群生地だが、見学した時は、ワラビで一面緑色のじゅうたんのようになっている。
写真で見ると、墳丘の見分けがつかない・・・・。
だから写真は少ない。
2時半ころまで、見学。
春日山城跡 (国指定史跡) 春日山神社 |
上越市大字中屋敷ほか 撮影日2015/5/25 |
春日山城跡に登るために、春日山の中腹にある春日山神社へ。
2時55分 着。
春日山神社前の駐車スペースに駐車。
春日山神社 | |
山形県米沢市の上杉神社より分霊され、謙信公を祭神に祀った神社。 明治34年(1901年)に、童話作家・小川未明の父である小川澄晴によって創建された。 日本近代郵便の父・前島密も援助したといわれている。 直線的でがっしりとした神明造の社殿は見応えがあり、 境内に隣接する春日山神社記念館には、謙信公の遺品・資料などが展示されている。 小川未明の「雲のごとく」の詩が刻まれた石碑や、童話をモチーフにした石像なども見ることができる。 (上越市HPから) |
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春日山神社参道 茶屋や土産物店があり、かなりにぎわっている。 |
春日山神社 |
春日山神社参道わきの崖の上に 上杉謙信像がある。 |
上杉謙信像 |
この上杉謙信公の銅像は、昭和44年のNHK大河ドラマ「天と地と」放映にあたり制作されたそうだ。
春日山城跡 | |
戦国時代の名将・上杉謙信公の居城として知られている。 国の指定史跡であり、日本百名城にも数えられている。 築城の時期についてはよくわかっていないが、南北朝時代には既に存在していたようだ。 現在見られるような広大な城に整備されるのは後のことで、 上杉謙信公・景勝公と堀氏によるものと考えられている。 複雑な自然の地形を巧みに利用した堅固な城塞は、難攻不落の天下の名城といわれた。 現在も、空堀や土塁、大井戸など山城の特徴が残り、 屋敷や空堀が展開する山の裾野に、 延長1.2kmにも及ぶ堀と土塁で総構がつくられる点が特徴である。 標高約180mにある本丸跡からは、日本海や頸城平野、それを取り巻く山並みを一望できる。 (上越市HPから) |
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春日山城址 二の丸跡 |
春日山城址 天守台址 向こうは本丸址 |
春日山城址 本丸址 |
春日山城址 護摩堂址 |
春日山城址 不識院址 |
春日山城址 毘沙門堂 謙信公が出神前に戦勝を祈願した |
春日山城址 御花畑址 |
春日山城址 直江屋敷址 ドラマ「天地人」の直江兼継の屋敷跡 |
春日山城址 虎口 |
春日山城址 空掘 |
春日山城址 千貫門跡 |
千貫門に連続する空堀 |
土産物店で、上杉謙信仕様(?)のソックスなんぞを買ってしまった・・・・・・
越後一宮 居多神社 | 上越市五智6丁目1-11 撮影日2015/5/25 |
越後には一宮が2ヶ所ある。 弥彦神社と、この居多神社である。
新潟市の総鎮守白山神社もある。弥彦神社と白山神社は、初日に見学を済ませている。
4時ごろ 居多神社 着。
駐車場がある。
居多神社は 大国主命・奴奈川姫・建御名方命を祀り、越後一宮とも呼ばれる延喜式内社。 創建は不詳、神代の古跡と伝えられている。 代々、国司の厚い保護を受けてきた。 室町時代の作である、市指定の文化財・木造狛犬や、 年1回公開される、中世から近世にかけての居多神社文書(市指定文化財)が保管されている。 親鸞聖人も上陸の際に一番に参ったといわれ、 聖人にまつわる越後七不思議の第一番「片葉葦」が群生していることでも知られている。 兵庫県北部から新潟県にかけての日本海側に分布する気多神社の一社とされている。 |
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居多神社 正面 |
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居多神社境内 社殿が新しい・・・・・ 明治35年(1902)社殿が火災で焼失し、 明治40年(1907)に仮社殿を造営し、 そのまま約100年間風雪に耐えてきたが、 老朽化のため、 平成20年(2008)に本社殿が造営された。 |
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居多神社社殿 |
境内社の雁田神社 子宝・安産の神さま 9月に3人目の孫が生まれる予定なので念入りにお参り |
越後七不思議の第一番「片葉葦」 承元元年(1207)、専修念仏の禁止により、親鸞聖人は越後国府に配流となった。 居多ヶ浜に上陸した親鸞は居多神社に参拝して、 すえ遠く法を守らせ居多の神 弥陀と衆生のあらん限りは と詠み、神前に供え、はやく赦免となりますようにと祈願したところ、 一夜にして居多神社境内の芦が片葉になったという 今日 居多神社には親鸞聖人の御詠歌と日の丸の御名号が所蔵されている。 (説明板から) |
昨年見学した香川県善通寺市の青龍古墳にも片葉の葦が自生していたなぁ・・・・・
越後の旅、予定をすべて終了。
4時20分 帰路につく。
4時45ごろ 「うみてらす名立」(道の駅)にて、おみやげ購入。
7時30分~8時 8番らーめん高岡熊野店(高岡市熊野町128-1)にて、夕食。
9時20分 帰宅。
走行距離は 約1155Kmだった。