北村さんちの遺跡めぐり
更新日2015/7/22
越後の旅・その3
桜又の古墳から撮影日2015/5/24
5月24日、越後の旅・第2日目、朝食後、7時25分、コンフォートホテル燕三条をチェックアウト。
ガソリン給油をしたいが、日曜日なので、8時前に開店しているガソリンスタンドが意外と少ない。
㈱川崎商会三条県央SS (三条市上須頃355-1)で、ようやく給油。
魚沼市まで高速道路を利用する。
7時50分 栄PAスマートIC ~ 8時26分 堀之内IC ETC料金は 1120円。
桜又の古墳は、堀之内ICのすぐそばのはずだ。
桜又の古墳 市指定史跡 |
魚沼市根小屋字桜又 撮影日2015/5/24 |
見つけるのに手間取ってしまった。
30分くらい探した・・・・・耕作放棄地の中に標柱を見つける。
9時ごろ 桜又の古墳 見学。
桜又の古墳は 6基の円墳が確認されている。 根小屋桜又の俗称古林と呼ばれる場所に6基の円墳が確認されている。 1・2号墳は1881(明治14)年に畑の開墾の際に発掘され、 その時の遺物や発掘の記録が残っている。(消滅) 1・2・3・5号墳は横穴式石室があり、6世紀後半~7世紀前半の築造と推定されている。 4・6号墳は木棺直葬で、6世紀前半の築造と推定されている。 (市報うおぬま 2009.7.10から) |
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桜又3号墳 「町指定史跡 桜又古墳群」 という標柱が立っているので、分かった。 ほかは、よくわからないなあ・・・・・・。 |
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古墳かな?その1 |
古墳かな?その2 |
桜又の古墳を、インターネットで検索したら、「市報うおぬま 2009.7.10」の中の紹介文がみつかったが、・・・・。
詳細不明
飯綱山古墳群 県指定史跡 |
南魚沼市余川飯綱町 撮影日2015/5/24 |
桜又から約40分、南魚沼市へ。 9時50分ごろ 考古博物館前に到着。
飯綱考古博物館は閉館している・・・・・。
飯綱考古博物館
県指定文化財である余川古墳群の出土品をはじめ
近隣より集めた多数の収集品が陳列されているほか、
魚沼地方の民俗、民具品も展示され、
原始、古代から現代に至る生活史を知る上で貴重な地域博物館である。
と案内板には書かれているが、閉館している。
インターネット上で
「飯綱山古墳群が提起する問題」(橋本博文)、「墳丘構築法から見た越後の前期・中期古墳」(小池勝)
という文書が見つかったので、参考にさせていただいた。
飯綱山古墳群 登り口
説明板がある。
飯綱山古墳群全体図 「墳丘構築法から見た越後の前期・中期古墳」(小池勝著)から引用した
古墳番号を赤で強調した
飯綱山の下を高速道路のトンネルが通っている。
調査がなされたのは、10・27・31・35・36・38・65の7基
飯綱山古墳群大きさランキング すべて 円墳 |
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大きさ | 築造時期 | |||
1 | 27号墳 | 径40m | 高さ5m | 5世紀前半 |
2 | 10号墳 | 径36m | 高さ5m | 5世紀第3四半世紀後半 |
3 | 35号墳 | 径20m | 高さ3.5m | 5世紀後半 |
4 | 38号墳 | 径15.5m | 高さ4m | 5世紀末~6世紀初め |
5 | 31号墳 | 径14.6m | 高さ2.5m | 5世紀中~後半 |
番外 | ||||
65号墳 | 径11m | 高さ1.7m | 5世紀第2四半世紀 | |
36号墳 | 径7.6m | 高さ1m | 35号墳の後 |
飯綱山古墳群は魚野川の左岸、六日町盆地の魚沼丘陵の河岸段丘先端部の緩斜面上に立地する。
明治時代には100基以上の円墳があったとされているが、現存は26基となっている。
標高230m位、平野部との比高差約70m位である。
1888年、地元の若井治作・治三郎親子により10号墳や27号墳などが本格的に発掘調査された。
1963年、立教大学史学科の魚沼周辺の古墳群の調査。
1996年から、新潟大学考古学研究室により継続的に調査が行われている。
飯綱山10号墳は 大塚または女塚ともよばれている 径36m・高さ6mの円墳 周溝幅は山側6m・谷側3m、深さは北西側2.6m・南東側0.5m 飯綱山10号墳 墳丘図 (古津八幡山遺跡パンフから) 2段築成 上段に葺石あり 埴輪あり 墳頂縁辺部で、壷形埴輪が出土している。 明治時代に発掘、墳頂部の竪穴式石室から銅鏡や武器・武具などが出土している。 1996年からの新潟大学の発掘調査では、鉄鏃・短甲・馬具の破片や鉄斧などが出土 5世紀第3四半世紀の築造と推定されている。 埋葬施設は2つあるといわれているが、近年の調査では1つしか見つからなかったという。 |
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飯綱山10号墳 |
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飯綱山10号墳 周溝跡も残る |
飯綱山10号墳・墳頂 くぼんでいる 葺石がある 明治21年「古墳若井神社」と彫ってある石碑がある。 |
左から 飯綱山19号墳、 18号墳 10号墳墳頂より見おろす 10号墳の南西に18号墳と19号墳が並んでいる。 |
飯綱山10号墳から南西に約100m。
飯綱山32号墳 |
飯綱山29号墳 |
飯綱山31号墳は 径14.6m・高さ2.5mの円墳 古墳群中5番目の規模。 墳頂部の埋葬施設から、鹿角装の鉄刀2・鉄斧1・鉄鏃2・刀子1が出土。 墳丘斜面から須恵器模様のハソウの破片が出土 5世紀中ごろ~後半の築造と推定されている。 |
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飯綱山31号墳その1 |
飯綱山31号墳その2 道で半分が削られている。 |
飯綱山30号墳、左奥は31号墳 |
左手前は飯綱山30号墳、右奥には29号墳 |
飯綱山68号墳 大型墳丘の31号墳と27号墳の間にある。 |
飯綱山27号墳は、31号墳から西に約50m。
飯綱山27号墳は 男塚とも呼ばれている。 古墳群の中では最大規模 古墳群中最高所にある径40m・高さ5mの円墳 周溝、周堤、ブリッジを有する。 葺石なし 2段築成 2つの埋葬施設のうち、西側の主体部から、銅釧1・ガラス玉7・滑石製臼玉1400近く 東側の主体部から、底部穿孔の赤色土師器が大量に出土 5世紀前葉の築造と推定されている。 飯綱山27号墳 墳丘図 (古津八幡山遺跡パンフから) |
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飯綱山27号墳 周溝も残っている。 |
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飯綱山27号墳は 墳頂部がくぼんでいるような・・・? |
飯綱山27号墳は 反対側に行くと、発掘跡が痛々しい・・・! |
27号墳の西から東にかけて28、65~67号墳の小規模墳が取り巻くように配置されている。
飯綱山65号墳は 径11m・高さ1.7mの円墳 27号墳に隣接する 埋葬施設内及び埋葬施設上方から副葬品がまとまって出土している。 周溝内から鉄鉾1 5世紀第2四半世紀の築造と推定されている |
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飯綱山65号墳 |
飯綱山66号墳 |
飯綱山67号墳 |
飯綱山28号墳 |
丘陵の南縁には小型の円墳が集中して残っている。
はっきり分かるのは54号墳で周溝跡も残る。
飯綱山52号墳 |
飯綱山53号墳 |
飯綱山54号墳 |
飯綱山55号墳 |
飯綱山56号墳 |
飯綱山57号墳 |
飯綱山31号墳から東約50mに35号墳がある。
飯綱山35号墳 径20m・高さ3.5mの円墳 群中3番目の規模 2段築成らしく、上段には葺石がある。(葺石が確認されているのは10号墳と35号墳だけ) 10号墳とほぼ同じ標高に築かれている。 墳頂部はすでに発掘されていて、埋葬施設は原形をとどめていないが、 既発掘跡から鉄鏃片が多数出土 墳丘東側の周溝内から須恵器のハソウ1・土師器の高杯2・小形の壺1のほか、 剣形の石製模造品3がまとまって出土 5世紀後半の築造と推定されている。 |
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飯綱山35号墳 南から見る |
飯綱山35号墳 北から見る |
飯綱山36号墳 35号墳に隣接する径7.6m・高さ1mの円墳 周溝がめぐっている。 墳頂部から供献土器と考えられる土師器が出土 35号墳よりやや新しい築造と推定されている。 |
飯綱山36号墳 |
飯綱山38号墳 現存する古墳の中では最も低い位置にあるグループの1基。 径15.5m・高さ4mの円墳 4番目の規模 調査前から既に発掘跡があったが、墳頂部には石で囲った未堀の主体部が残存していたほか、 中心埋葬の副葬品の一部と考えられる遺物が出土 埋葬施設は、複数存在していたとみられている。 周溝内から土師器の高杯2が出土 5世紀末~6世紀初頭の築造と推定されている。 |
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左奥・飯綱山39号墳 右手前・38号墳 |
左手前・飯綱山39号墳 右奥・38号墳 |
飯綱山40号墳かな? |
飯綱山古墳群は、かなり見応えがあった。
1時間10分ほどで、飯綱山古墳の見学を終え・・・・・
11時5分 六日町ICから関越自動車道に入り群馬県へ
秋塚9号墳 (群馬県)へつづく