北村さんちの遺跡めぐり
更新日2015/7/2

越後の旅その1
城の山古墳から
撮影日2015/5/23

春の旅行が初夏になってしまったので、北の越後(新潟県)に行くこととする。
越後は古墳が少ないので、群馬県北部にも足を伸ばした。
2泊3日の旅が始まる。

初日から、1日分の見学時間を確保するため、4時出発と決めるが、23分遅れとなってしまった。

2015年5月23日

4時23分   自宅出発  すでに薄明るくなっている
       徳光ICから北陸自動車道へ
6時~28分   蓮台寺PAで、おにぎりの朝食
6時47分   新潟県入り
7時34分   長岡JCT 通過
7時36分~57分   長岡 栄PAにて休憩
8時43分   中条ICから一般道へ   ( ETC  5300円)

胎内市・新潟市・弥彦村・三条市の地図g      

城の山古墳
国史跡
胎内市塩津
撮影日2015/5/23

午前8時47分、 城の山古墳  着。
円墳と思われていたが、昨年(2014)11月、
 日本海側最北の前方後円墳(全長約62m)であると発表された。


2014年11月時点の
 城の山古墳復元イメージ図


ところが、2015年9月、
 「継続調査の結果、前方後円墳の可能性を示す要素はなかった」と見解を訂正した。
  (胎内市教育委員会の発表から)

 市教育委員会発表の要旨  2015年9月 発表
 市教委によると、城の山古墳は従来、直径約39mの円墳と考えられていたが、
  昨年10月に周辺を発掘した際に コの字形の溝などを見つけ、前方部の痕跡と結論付けた。
 しかし、その後に堆積物などを調べた結果、溝は15世紀のものだったと判明。
 一帯の地層から見つかった土器なども奈良時代以降のものだった。
 前方後円墳の可能性を示す要素はなかった
 一方、同教委は出土品の中から腕の部分とみられる人骨が新たに見つかり、
   埋葬された人物が未成年だった可能性が高いとの分析結果も発表した。
 城の山古墳では平成24年に被葬者のものとみられる若い人物の歯のかけらが見つかっている。

古津八幡山古墳が、新潟県内の最大の古墳に復活しました!

 城の山古墳は、大塚山とも 一駕篭山(ヒトカゴヤマ)ともよばれている。
  東西40.07m×南北34m以上の楕円形墳  高さ5m  
 日本海沿岸最北の前期古墳 
 周溝は確認されていない。
 未盗掘で、多くの遺物が出土した。
 墳頂部には、長さ10.5m・幅5.3m(最大)の方形墓壙の中に、 
  最大幅1.6m・長さ8.2mのくりぬき式舟形木棺が納められていた
   (棺はほとんど腐って残っていなかったが、
    全体がベンガラで塗られていたため、形や範囲が分かった。)
   棺内を仕切り板で区切って、真ん中に被葬者と副葬品、
    東側に工具類、西側に靫(ユギ)などが配置されている。
  棺内部から
   人骨片のほか銅鏡や翡翠製勾玉1、緑色凝灰岩製管玉9、ガラス製小玉120、
   大刀1、鞘の遺存した剣1、鉄製刀子1、ヤリガンナ1、鉄斧2、
    両頭金具2、銅鏡1、銅鏃7、弓2、靫(ユギ)3、
    漆塗製品2、板痕4、人歯、土器片110などが出土した。
  また多くの品々が絹に包まれて収められていたことも分かっている。
  古墳時代前期(4世紀前半)の築造と推定されている。

  出土した歯から、被葬者は10~20代の可能性が高いという。
  出土遺物の構成が近畿地方の前期古墳と共通しており、
    当時の大和政権の勢力範囲がこの地域まで及んでいたことを示している。

  日本最北端の前方後円墳は、 岩手県奥州市の角塚古墳、 
  東北地方最大は宮城県名取市の雷神山古墳(全長約170m)。     


南から見た城の山古墳

手前に前方部が
 あったと思われたが、
 違った・・・・・・。

北の道路わきに案内表示がある。

東から見る

墳頂には三角点がある。

出土品   (パンフから)  上から
太刀 67cm   
ヒスイ製の勾玉と管玉 (ヒスイは糸魚川産)
銅鏡 (径10cm)は、   
 大切に絹でつつまれ木箱に収められていた。

昨年(2014年)末の12月7日にシンポジウムが開かれたというが、どんな内容だったのでしょうね?

胎内市から新潟市までは、良い道路が続いていて、牡丹山まで約45分。

牡丹山諏訪神社古墳 新潟市東区牡丹山
撮影日2015/5/23

9時45分   牡丹山諏訪神社 着。 
昨年(2014年)の発掘調査で、古墳と確認されて、今年3月に立てられたばかりの説明板がある。

牡丹山諏訪神社 正面

南から見る

真ん中に牡丹山諏訪神社古墳と書かれた
 青い案内板がある。
江戸時代の絵図に、牡丹山村に山が描かれていて、古墳を探し出すときの参考になったそうだ。
かなり改変されていて、古墳には見えないなぁ・・・。

 牡丹山諏訪神社古墳
  平成22年(2010)、民俗学者であり、
   郷土史研究家でもある金塚友之亟(カナツカトモノジョウ)氏の御遺族が
   「牡丹山」と注記された円筒埴輪の破片を新潟市歴史博物館に寄贈した。
  これを手掛かりに、平成25年(2013)に牡丹山諏訪神社で埴輪片が発見され、
   神社地が県内初の円筒埴輪のある古墳である可能性が高まった。
  翌26年(2014)の発掘調査で、古墳であると確認した。
  5世紀に築造された円墳と考えられている
  出土した須恵器器台の破片は、県内初出土。
  円筒埴輪は口縁部突帯をもつ特徴的なもので、
   大阪府の古市古墳群や百舌鳥古墳群の一部の埴輪に類似するものである。

昨年(2014年)の発掘の様子 (説明板から)

現在の様子 左の写真と同じアングルで。

社殿は、墳丘上にある。

墳丘から南を見る

新潟市の遺跡番号では、最後の番号が割り当てられた出来立てほやほやの遺跡である。
大きさなどが確定していないらしく、記述がない。

2017年4月30日の北陸中日新聞に、記事が掲載された。

 新潟 古墳によろい
  日本最北 大和政権 関係か
 新潟市東区の牡丹山諏訪神社古墳から、
  5世紀初めの古墳時代中期のものとみられるよろい片が見つかった。

 古墳時代のよろいとしては日本最北での出土。
  昨年9月に発見された。縦約3cm、横約4cmで、厚さ約2cmの鉄板が2枚重ねられていた。
 2カ所の穴に革ひもの跡があったことなどから、短甲のかけらとみられる。
 同古墳からはこれまで、円筒埴輪や朝鮮半島由来とみられる須恵器なども出土。
   北陸中日新聞から抜粋


日本最北で出土した
  古墳時代のよろい片


(北陸中日新聞から)

  

白山神社 新潟市中央区一番堀通町地先
撮影日2015/5/23

10時16分   白山神社  着。

新潟総鎮守といわれている白山神社。石川県の白山比咩神社と同じ神様が祀られている。

 白山神社
 御祭神、菊理媛大神(白山大神)は別名を、白山比咩(シラヤマヒメ)大神と言い、
  加賀の霊峰白山頂上に祀られている女神さまで、 この神様を勧請し新潟の地に祀ったもの。

 菊理媛大神(ククリノヒメオオカミ)は
  農業の神、海上の神、そして国家、 郷土の 守り神として広く人々より尊崇されていた。
  古く、白山神社は式内社に列せられ、延喜式神明帳に「越後国 沼垂郡船江神社」と記されている。
  また、大正13年には県社、昭和56年には別表神社となった。 

白山神社 正面

随神門

社殿

社殿の下をくぐって、後ろに行くと
摂社が並んでいる

安産・子授け・夫婦円満の道祖神

摂社の  松尾神社と  黄龍神社


摂社 蛇松明神(ジャマツミョウジン)

ご神木の松を祀ったもの

石碑もいろいろ立てられている。

緒立遺跡
緒立八幡神社(八幡宮)古墳

県指定文化財
新潟市西区緒立流通2丁目ほか
撮影日2015/5/23

11時6分   緒立遺跡 着。
緒立温泉があって、温泉宿数軒と老人福祉センターがある。

緒立遺跡配置図 
   (説明板から)

八幡宮は古墳の上に建てられている。
  

 緒立遺跡は、昭和27年、
  緒立八幡神社社殿脇から1個の壺形土器が出土したことにより発見された。

本殿脇から出土した壺
  (説明板から)

 緒立遺跡は、埋没砂丘上にあり、
  八幡宮を中心に南西-北東方向500m以上にわたって
  細長く広がっている。
 地点によって緒立A遺跡・緒立B遺跡・緒立C遺跡とよばれ、
  現在、緒立A遺跡全域とC遺跡の一部が、県指定史跡に指定されている。
 縄文時代晩期~弥生時代・古墳時代前期・奈良~平安時代・中世にわたる複合遺跡で、
  それぞれに繁栄した様子を見せている。
 とくに古墳時代前期の葺石をともなう円墳(緒立八幡神社古墳)は、
  広大な沖積平野に存在し、多量の土器が出土。                  
 奈良~平安時代には、大型倉庫と思われる掘立柱建物・井戸などの遺構や
  サイコロ・瓦塔・和同開珎・木簡・祭祀遺物(人面墨書土器・木製品)などの遺物の発見によって
  官衙(役所)的性格をもった遺跡と推定され、
  800m東方の新潟市的場遺跡との関係が指摘されている。
 緒立八幡神社古墳は、緒立A遺跡の中にある

緒立八幡神社古墳墳丘平面図
 (「墳丘構築法から見た越後の前期・中期古墳」
   小池勝典から引用)

埋没砂丘上の海抜0m地帯にある。
墳丘上には緒立八幡宮が建つ。
直径約30mの円墳で、葺石あり。

墳丘斜面の調査しかなされていないので、
 埋葬施設は不明。
 県内の前期古墳で葺石があるのは、この古墳と観音山古墳だけだが、
  よく似た石は角田山ろくで確認でき、
  角田山ろくから西川を利用して緒立まで運んで来たと考えられている。

八幡宮入口  西から

古墳の上に社殿がある

1981年調査時の緒立八幡神社古墳葺石
 (説明板から)   

東から見た緒立八幡神社古墳
葺石は、すでに埋め戻されている。

緒立A遺跡は公園になっている。

須恵器大甕 奈良時代の貯蔵容器
出土した土器とほぼ同形に製作されたもの

この古墳もなかなか、古墳に見えない・・・・・

サークルK 新潟八代田店(新潟市秋葉区八代田3329)でお弁当を買い、古津八幡山遺跡へ。

古津八幡山遺跡  へつづく

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