北村さんちの遺跡めぐり
更新日2010/8/26

東京都の古墳へ
第2章・その1
2010/5/15
〜5/18

第1日目。
 電車(米原・名古屋経由)で熱海へ。法事に出席。



熱海のホテルから見る大島と初島



第2日目。
 JR熱海から国府津で乗り換え渋谷へ
 生まれたばかりの初孫の顔を見る。
 病院で赤ちゃんの顔を見て、お嫁さんの実家を訪問、
 そのあと、古墳めぐり。
 午後5時に近いけど、亀塚と芝丸山古墳の見学にいく。

JRで渋谷から田町へ
クェート大使館がある聖坂をだらだら上ると亀塚公園。
亀塚の手前の大きなマンションは廃墟となっていて怖い。

周辺(港区)の地図g

 亀塚古墳

東京都港区三田4丁目
 (撮影日2010/5/16)

公園の奥に亀塚がある。


亀塚公園案内図

上の道路が聖坂

古くから古墳だと言われていて、
昭和45・46年、平成14・17・18年に部分的な調査がなされて、土師器・須恵器が出土し、
人工の築山ということはわかったが、
埋葬施設や周壕の存在が明確ではなく古墳と断定はされていない。


亀塚全景
いかにも古墳という姿をしている。
直径37.5m・高さ4.3mの円墳状
帆立貝形前方後円墳かもしれない

平安時代に書かれた「更級日記」にみえる竹芝寺の伝説地とも伝えられ、
文明年間(1469〜87)に大田道灌が斥候(ものみ)を置いた。
江戸時代にはこの地を屋敷としていた沼田城主土岐頼煕が、
これらの旨を記した「亀山碑」を頂上に建て現在に伝えている


亀塚 墳頂部






墳頂に置かれた亀山碑




亀塚から北に歩いて、慶応大学の前を通り、桜田通を北上、東京タワーが見える。
芝公園へ。

 芝丸山古墳

東京都港区芝公園
 (撮影日2010/5/16)

芝公園の中にある。

芝丸山古墳は 全長106mの前方後円墳
後円部径64m・前方部幅40m くびれ部幅22m
標高16mの台地端に位置し、前方部を南南西に向けている。
墳頂部や後円部西側は削られている。
明治31年に調査、主体部は失われており、出土品も不明。
円筒埴輪や人物埴輪はある。


芝丸山古墳全景
4枚の写真の合成
右のほうに私がいる。

墳丘のくびれ部付近の南側ふもとには丸山稲荷神社がある。


芝丸山古墳上り口
前方部東側





芝丸山古墳前方部から後円部




芝丸山古墳後円部頂

真ん中の大きな石には
「瓢形大古墳」と彫られている。




芝丸山古墳
後円部から前方部を見る


 

JRで浜松町から渋谷へ   
東急田園都市線 渋谷から池尻大橋へ  
宿泊はオリンピックイン渋谷
夕飯は近くの立ち食いそばで済ませ、コンビニでおやつを買う。

第3日目
朝食は、マクドナルド池尻大橋店。

まず
大田区の古墳展示室の見学に行きたかったが、月曜日で休み。
 前もって「大田区古墳ガイドブック」と「大昔の大田区」を息子に買ってきてもらい、
 それを参考に多摩川台の古墳を見学に行く。
前回、野毛大塚古墳・等々力横穴・御岳山古墳を見学したので、
 今回は南から見学する。

東急田園都市線の池尻大橋から渋谷で乗り換え、東急東横線玉川駅へ

周辺(大田区・世田谷区)の地図g

 浅間神社古墳

東京都大田区田園調布1丁目
 (撮影日2010/5/17)

浅間神社は、鎌倉時代の文治(1185〜90)年間の創建と伝えられている。
源頼朝の妻政子が身につけていた正観世音像を祀ったのが最初と伝えられている。
地域を守る古墳の丘の氏神とかかれた浅間神社由来の説明板はあるが、古墳についての記述はない。

浅間神社登り口






浅間神社古墳実測図

   (古墳MAPから)
全長60mの前方後円墳
後円部径32m・前方部幅30m
社殿の下に後円部があり、西側に前方部がある。
地形に影響されて、多摩川寄りに折れ曲がった形をしている。
後円部が削平されたときに横穴式石室は確認されなかったので
竪穴式の埋葬施設だと推定されている。
多摩川側斜面を中心に人物形埴輪・鹿形埴輪・馬形埴輪・円筒型埴輪が出土。
5世紀末〜6世紀初めの築造と推定されている。

浅間神社本殿

以前は本殿の前が前方部と考えられていたが
平成2年(1990)東急東横線拡幅工事のときの発掘調査で
前方部は反対側にある事がわかった。
前方部先端は切通しでなくなっている。

見ただけでは古墳とわからない。

 亀甲山古墳
国史跡

東京都大田区田園調布1丁目
 (撮影日2010/5/17)

浅間神社から東急東横線をはさんで北の丘陵を上ると
 調布浄水場跡が四季の植物園や水性植物園となっている。

浄水場跡の奥に見えるのが
 亀甲山古墳後円部






亀甲山古墳実測図

    (説明板から)
全長107mの前方後円墳
後円部径66m・高さ10m
前方部長さ41m・幅49m・高さ7m
発掘調査がされていないので詳細は不明。
埴輪なし 葺石なし
5世紀前半の築造と推定されている。
後円部南端を浄水場建設工事で削られているが比較的原形を保っている。




亀甲山古墳の前方部脇から後円部を見る。
くびれ部がわかる。
墳丘は立入禁止
木立におおわれ全体を見ることはできない。

 多摩川台古墳群

東京都大田区田園調布1丁目
田園調布4丁目(8号墳)

 (撮影日2010/5/17)

亀甲山古墳と宝来山古墳の間にある後期の古墳群。

最初に2号墳が6世紀前半に築造され、
2号墳を前方部として利用し、1号墳を後円部とする前方後円墳(全長39m)が6世紀後半に築造された。
その後、3号墳から8号墳までの円墳(直径13〜19m)が7世紀中頃まで継続して築造された。
発掘調査された古墳の横穴式石室からは、
直刀や鉄鏃等の武具類、耳飾や管玉等の装身具類、馬具の轡、須恵器や土師器が出土、
墳丘部からは円筒埴輪が発見された。
昭和初期に54基確認されていた荏原台古墳群の一支群。

   多摩川台古墳群配置図

1号墳 前方後円墳 全長39m
後円部径19.5m
高さ5m
前方部幅19.5m
横穴式石室 鉄鏃5
埴輪(円筒・形象多数)須恵器多数・土師器など
6世紀第3四半期
2号墳 円墳? 不明 竪穴式礫槨 勾玉1
3号墳 円墳 径13〜14m
高さ3m
横穴式石室 金環1・直刀残片・鉄鏃1・土師器杯4・須恵器甕片5・埴輪片6 7世紀第1四半期
4号墳 円墳 径18m
高さ3m
横穴式石室 直刀3・刀子1・鉄鏃3・金環1・埴輪片2・轡片・須恵器片2 7世紀初頭
5号墳 円墳 径20.1m
高さ3.25m
横穴式石室 直刀4・刀子3・鉄鏃62・勾玉3・切子玉1・轡1・棗玉4管玉5・ガラス製小玉221・金環2・銅環2・須恵器片 6世紀終末
6号墳 円墳 径19.5m高さ2.8m 横穴式石室 未発掘 7世紀第1四半期
7号墳 円墳 径18.5m高さ3m 横穴式石室 なし 7世紀第2四半期
8号墳 円墳 径18m高さ2.5m 横穴式石室 直刀3・刀子1・金環8・鉾先1・土師器杯1・須恵器3・鉄鏃28・ガラス製丸玉163・埴輪片2・蝋石製丸玉1・須恵器片1 7世紀中頃

多摩川台古墳群1+2号墳の前方後円墳
 全長39m
 墳丘には円筒埴輪や形象埴輪が並べられていた。
 埴輪は埋没しかけた周溝内から散乱した状態で出土

右 後円部
左 前方部(2号墳)

多摩川台古墳群1号墳
2号墳(前方部)から後円部(後円部)をみる
多摩川台古墳群2号墳


前方後円墳の前方部に改変されたので、
大きさは不明
多摩川台古墳群3号墳
円墳
昭和62・63年(1987〜88)の調査で切石積の横穴式石室の存在が確認された。
埴輪あり

墳丘

3号墳案内板
多摩川台古墳群4号墳
 円墳
 3号墳との間に周溝がある。昭和32年(1957)に横穴式石室が調査された。
 埴輪あり

墳丘

4号墳案内板
多摩川台古墳群5号墳
円墳
昭和33年(1958)に切石積の横穴式石室が調査された。

墳丘

5号墳案内板
多摩川台古墳群6号墳
円墳
昭和62・63年(1987〜88)範囲確認調査で、横穴式石室の存在が確認された。
5号墳の周溝が6号墳の墳丘をつくるときに削平されたとみられる部分が発見されて、
5号墳の後に6号墳がつくられたことがわかった。



墳丘
多摩川台古墳群7号墳
円墳
昭和33年の発掘で横穴式石室が調査されたが、盗掘されていて、何も出土しなかった。

墳丘
多摩川台古墳群8号墳
墳丘のくずれが大きかったが周溝を確認して大きさがわかった。 円墳
昭和32年(1957)に凝灰岩切石積の横穴式石室を調査。
石室は前室(長さ1.4m・幅1〜0.85m)と奥室(長さ2.3m・幅1.3m)に別れている。
多摩川台最後の古墳。  

   

 宝来山古墳
都史跡

東京都大田区田園調布4丁目
 (撮影日2010/5/17)

多摩川台公園の北西端にある。
後円部の三分の二が宅地造成で削平されてしまった。
くびれ部あたりには松平邸があったが、現在は大田区の所有となり、建物も撤去された。
標高37.5m。

宝来山古墳実測図
    (説明板から)
全長97mの前方後円墳
後円部径52m・高さ11m
前方部幅38m・高さ8m
前方部2段 後円部3段
墳丘の周囲はテラスがもうけられている。
4世紀の築造と推定されている。





宝来山古墳前方部  左側後円部
前方部は東南に向き、亀甲山古墳の前方部と向き合う位置につくられている。
昭和9年(1934)宅地造成工事で後円部が削平された際、粘土槨を発見、調査。
粘土槨は長さ2mほどで、
四獣鏡1・紡錘車形碧玉製品1・硬玉製勾玉4・碧玉製管玉67・ガラス製丸玉173
・ガラス製小玉392・鉄剣残欠5・ヤリ形鉄器残欠5・直刀残欠7・刀子1
が出土。


宝来山古墳前方部墳頂

平成7年の公園整備に伴う確認調査で、
前方部にも埋葬施設がある事が推定され(未発掘)、
前方部の先端が撥状に広がる形をとると確認された。

      荏原古墳群配置図

荏原台古墳リスト

@ 稲荷丸北古墳 世田谷区上野毛3-9-25 直径20mの円墳 五島美術館の庭
A 野毛大塚古墳 世田谷区野毛1-25 全長82mの前方後円墳 玉川野毛公園内
B 等々力渓谷
3号横穴
世田谷区等々力1-22 横穴墓 等々力渓谷
C 御岳山古墳
(西岡10号墳)
世田谷区等々力1-18 直径42mの円墳 等々力不動のそば
D 狐塚古墳 世田谷区尾山台 直径40mの円墳 御岳山古墳の東南東350m
現状は児童公園
E 八幡塚古墳 世田谷区尾山台2-11 直径30mの円墳 宇佐八幡神社の裏手
浅間様古墳
(西岡34号墳)
大田区田園調布4-33 横穴式石室開口 蓬莱山古墳の北西250m
観音塚古墳 大田区田園調布 消滅
地面の高まりが残っている
蓬莱山古墳の北西。
豊富な副葬品が出土した。
H 蓬莱山古墳 大田区田園調布4-4 全長97mの前方後円墳 多摩川台公園の北西端の西隣
I 多摩川台古墳群 東京都大田区田園調布1 前方後円墳1基
円墳6基
不明1基
蓬莱山古墳と亀甲山古墳の間に並ぶ古墳群
J 亀甲山古墳 大田区田園調布1-36 全長107.25mの前方後円墳 多摩川台公園として整備されている。
K 浅間神社古墳 大田区田園調布1-55 全長70mの前方後円墳 浅間神社の社殿が古墳上に建つ。
出土した埴輪のレプリカが大田区古墳展示室に展示されている。

宝来山古墳から宇佐神社へ歩く。
浅間様古墳と呼ばれる横穴式石室のある古墳はみつからない。
ほかにも見られる古墳はないかと探しながら歩く。
ありそうな石段の上は家の取り壊し工事が行われていて近寄れない。
・・・・・・ 宇佐神社に着いてしまった。

 宇佐神社
八幡塚古墳

東京都世田谷区尾山台2-11
 (撮影日2010/5/17)

八幡塚古墳は宇佐八幡神社境内にあり、社殿の東裏手にある。
神社境内全体が丘になっていてそのさらに上にあるので周囲から見えない。

宇佐八幡神社
右の森が古墳




八幡塚古墳上り口




八幡塚古墳
墳頂につづく石段

八幡塚古墳の短い前方部はこの石段の右側(東南)か?



八幡塚古墳実測図 (古墳MAPから)
径30m・高さ4.5mの円墳とみられていたが、
帆立貝形前方後円墳と考えられるようになってきた。
(前方部は南東側か)

昭和初期に開墾しようとしたら箱式石棺を発見、古墳である事がわかった。
石棺の中から
直刀2・ヤリガンナ1・石製刀子22・袴帯金具2・土師器などが出土。
埴輪あり
5世紀中葉の築造と推定されている。



八幡塚古墳墳頂には
柵に囲まれて小石祠が四つある。


 狐塚古墳

東京都世田谷区尾山台2
 (撮影日2010/5/17)



狐塚古墳の墳丘
住宅に囲まれ四角くなっているが
円墳
上り口には
「尾山台クラブ」と書かれている。




狐塚古墳の案内板

案内板がなければ古墳とは気付かない。



狐塚古墳墳頂



狐塚古墳実測図
(古墳MAPから)
径40m・高さ6mの円墳
現状は東西34m・南北30mの方形
で円筒埴輪が出土している。
5世紀後葉の築造と推定されている。
      

狐塚古墳の北東にある御岳山古墳は前回見学したので荏原台古墳群はこれでやめて
 北区に行くこととする。

尾山台駅前通りの松屋で昼食 牛丼310 まぐろ丼440

東急大井町線尾山台駅から自由ヶ丘で、東横線に乗り換え渋谷へ
渋谷から、JR埼京線で十条駅へ
演芸場の前を通って十条富士塚へ

東京の古墳第2章・その2 につづく

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