北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2014/12/17
群馬県・2014
その1・富岡市①2014/11/21~24
群馬県は、今までに総社古墳群と大室古墳群を見学した。
(以前の総社古墳群と大室古墳群のページはこちらから)
群馬県には、ほかにも立派な古墳がたくさんある。
2014年晩秋は、群馬へ……。 富岡製糸場も興味があったが、超混雑というのであきらめる。
群馬の古墳の下調べや、群馬のページ作成にあたり、HP「埼群古墳館」を大いに参考にさせていただきました。
下調べの時に、突然HP「埼群古墳館」にアクセスできなくなり心配しましたが、
すぐまたアクセスできるようになり助かりました。
ありがとうございました。
2014/11/21
3時半ごろ 出発。 松任海浜ICから高速へ 入善PA・名立浜PAでの休憩
6時ごろ 上越JCT通過 松代PAで休憩
7時10分ごろ 更埴JCT通過 横川SAで休憩
高速道路沿いで、富岡製糸場の大繭モニュメントを見て、群馬に来たことを実感!
8時20分 下仁田IC
最初の見学は富岡市から。8時半ころ 一ノ宮古墳群の堂山稲荷古墳 着。
一ノ宮古墳群 |
富岡市一之宮町 |
上毛電鉄「上州一ノ宮」駅周辺にある一ノ宮古墳群。
一ノ宮古墳群 主な古墳の配置
(合同庁舎内に置かれたパンフに加筆)
群馬県富岡合同庁舎が建設されるにあたり、
平成10・11年度に薄紫色の部分が発掘調査された。
現在、ここは合同庁舎とその駐車場となっている。
一ノ宮古墳群は、前方後円墳3基を含む約20基が知られている。
築造時期の順に並べると
時期 | 古墳名 | |
6世紀初め | 一ノ宮4号古墳 | 全長48mの前方後円墳 |
6世紀中ごろ | 一ノ宮3号古墳 (堂山稲荷古墳) |
全長48mの前方後円墳 |
6世紀後半 | 一ノ宮1号古墳 (太子堂塚古墳) |
(推定)全長80mの前方後円墳 |
7世紀 | 一ノ宮2号古墳 (稲荷森古墳) |
本宿・郷土(モトジュク・ゴウド)遺跡は
昭和53年の国道254号バイパスの工事前の調査で、確認された。
縄文時代中期(5000年前)、古墳時代後期から平安時代にかけての
ムラの跡、鎌倉・室町時代の館の跡が検出されている。
竪穴住居跡は全体で200軒以上、堀で囲まれた古墳時代後期の首長居館跡も発見されている。
一之宮古墳群と本宿・郷土遺跡の範囲の中に、群馬県富岡合同庁舎が建設されることとなり、
平成10・11年に敷地予定地が発掘調査された。
合同庁舎建設に先立つ発掘調査
(平成10・11年度) 全体図
(上の図の薄紫の部分の拡大)
(合同庁舎内に置かれたパンフから)
3号古墳(堂山稲荷古墳)の外堀にあたる一部が発見された。
4号古墳は、前方後円墳と確認された。
他は円墳である。
4号古墳の隣りの19号古墳では
土器と石の模造品が周堀の中からまとまって出土、
5世紀末の築造と推定されている。
本宿・郷土遺跡の遺構も発見されている。
縄文時代中期、古墳時代中期・後期の竪穴住居跡、
鎌倉時代の竪穴住居跡群など
竪穴住居跡は46軒 掘建柱建物跡3棟
まず堂山稲荷古墳から見学。
堂山稲荷古墳 (一ノ宮第3号古墳)
市指定史跡
一ノ宮古墳群富岡市一之宮町字南平
(撮影日2014/11/21)
富岡合同庁舎駐車場の、上信電鉄の線路をはさんで、北側にある。説明板なし。
堂山稲荷古墳(一ノ宮第3号古墳)は 全長約48mの前方後円墳 後円部径35m・同高さ約7m 前方部高さ約6m 葺石あり 埴輪あり 内部主体は不明だが横穴式石室と考えられている。 6世紀中ころの築造と推定されている。 |
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堂山稲荷古墳 合同庁舎駐車場から見る。 左・前方部 右・後円部 墳頂の樫の木が有名 |
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東側の道路から見た後円部 |
後円部登り口 後円部の丸みが感じられる |
後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
堂山稲荷古墳出土の埴輪 (合同庁舎内展示から) ガラス越しなのでよく見えない…… 合同庁舎建設の際の発掘調査で、 堂山稲荷古墳の外堀の一部が発見された。 深さ1m・幅4mで、 内側には石垣が積まれいていた。 堀の中から、たくさんの埴輪が出土した。 |
一ノ宮4号墳
市指定史跡
一ノ宮古墳群富岡市一之宮町字南平
(撮影日2014/11/21)
調査後、合同庁舎の中庭に、後円部のみ復元保存され、市指定史跡になっている。
工事中でガラス越しでの見学しかできなかったが、職員の方が見やすいところまで案内してくれた。
一ノ宮4号墳は 全長48mの前方後円墳 墳丘と相似形の周堀がめぐる 2段築成 下段斜面に葺石 テラス面には円筒埴輪・形象埴輪 後円部の中心に、くびれ部(南側)に開口する横穴式石室がある。 6世紀初めの築造と推定されている。 調査時、敷地の中央に14m×22m・高さ4mほどの高まりで中心部が残っていたが、 調査の結果、周堀の形から、前方後円墳と分かった。 |
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富岡合同庁の建物は4号墳を囲んで建てられている。 |
横穴式石室 |
横穴式石室のそばに行くことができなくて残念だった。
太子堂塚古墳 (一ノ宮1号古墳)
市指定史跡
一ノ宮古墳群富岡市一之宮町字本宿
(撮影日2014/11/21)
そばを通り、写真を撮る。
後円部はほとんど無くなっているようだが、大きな前方部が残る。
太子堂塚古墳は、推定全長約80mの前方後円墳 高さ7m・前方部前幅60m・高さ5m 2段築成と考えられている。 横穴式石室がある。 後円部のほとんどは失われているが前方部は比較的よく残っている。 測量調査のみが行われている。 |
南から見た太子堂塚古墳 手前が前方部前面 奥に後円部があった。 前方部の幅が広いので、 後期の前方後円墳と 考えられている。 |
石室が露出しているという稲荷森古墳は見学して来なかった。
富岡市の一の宮古墳群を見学後、東に約2kmの塚原古墳群へ。
塚原古墳群 |
富岡市田篠字塚原 |
塚原古墳群は、古墳時代の終わり頃につくられた群集墳で、30以上の古墳が確認されている。
9時15分 しの塚古墳 着。
塚原古墳群配置(イメージ)図
3号墳・5号墳は大きな墳丘が残る。
カインズホームスーパーセンターの横に復元されているしの塚古墳と、
田篠団地に保存された古墳群を見学。
田篠しの塚古墳
塚原古墳群富岡市田篠字塚原
(撮影日2014/11/21)
カインズホームスーパーセンター富岡甘楽店の駐車場の西隣の古墳公園に保存されている。
説明板あり。
もとはここから100mほど南西の道路際にあったが、
平成7・8年の国道バイパス工事のための発掘調査後、移築整備された。
現在の場所に移すとき、石室はもとのままに復元されたが、全体の大きさは直径約14mに縮小された。
バイパス工事では他に6基の古墳も発掘調査されたが、しの塚古墳以外は調査後に壊された。
田篠しの塚古墳は 19m以上の円墳 中は盛り土だが、、表面全体に平たい石を貼っている。 南に開口した横穴式石室は 全長7.8m 玄室は、幅2m・長さ4.4m・高さ2m以上 天井石はすでになかったが、砂岩、結晶片岩、安山岩などが使われていて、 一番大きい石は3.7トンの重さがある。 人の歯や耳飾りが出土しているが、5人以上の遺体がここに納められていたことが分かっている。 |
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しの塚古墳全景 南から見る 大きさは本来より小さくなっている。 |
墳頂から石室を見る。手前が入口。 天井石はすでになかった。 |
横穴式石室入口 |
石室内部から外を見る |
仮15号墳
しの塚古墳の西の石屋さんの西側に墳丘らしきものがあるが・・・・・
古墳ではないのかもしれない・・・・
田篠団地内の古墳群
塚原古墳群富岡市田篠字塚原
(撮影日2014/11/21)
しの塚古墳の移築地の北東にある田篠団地内に、古墳が残されている。
駐車場の中や、児童公園の中に墳丘を見ることができる。
群集墳といっても、1・3・5号墳は、径20m・高さ3mとかなり大きなものだ。
3号墳 大きな墳丘が残る。 |
4号墳 この東側で須恵器が発見されたという。 |
仮9号墳 墳丘には石が見受けられる。 |
奥が仮10号墳 手前は仮9号墳 |
5号墳 大きな墳丘 |
6号墳 児童公園内に残る |
7号墳 児童公園内に残る |
仮11号墳 児童公園内に残る 石がゴロゴロ |
1号墳 西から見る |
仮12号墳 |
発掘調査された2号墳は、横穴式石室があったというが、墳丘は見あたらない。
上毛電鉄線の南にも墳丘が残っているというが、行かなかった。
笹森古墳へつづく