東北の旅その16
六日目B
福島県喜多方市撮影日2013/10/1〜6
白虎隊の墓を見学して、喜多方市塩川町中屋沢へ
見学にあたり、シリーズ「遺跡を学ぶ・東北古墳研究の原点」(新泉社)を参考にさせていただきました。
(田中)舟森山古墳 市指定史跡 |
喜多方市塩川町中屋沢 撮影日2013/10/6 |
雄国山の西側山麓、標高190m付近にある。
現在の墳丘は楕円形をしている。住宅街の中にある古墳のため、変形している。
舟森山古墳は、墳形不明(現在は楕円形)・高さ7m 付近の地形をみると、前方部があった可能性が高く、前方後円墳か前方後方墳のようだ。 後方部頂南寄りに粘土槨(長さ4.8m・幅1.8m)が確認されている。 簡単な調査のみで、詳細不明。 |
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舟森山古墳 南から見た墳丘 手前に前方部が あったと考えられている。 |
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墳丘上がり口 村社稲荷神社となる。 |
墳丘上の社殿は新築中 墳頂は広々としている |
粘土槨は参道の下に・・奥が前方部方向 |
墳丘上の石造物 |
観音森古墳 | 喜多方市塩川町中屋沢 撮影日2013/10/6 |
舟森山から東へ約300m、会津三十三観音めぐり8番札所竹屋観音がある。
その東に行くと小さな神社がある。
観音森古墳は、一辺20mの方墳といわれているが・・・・・、詳細不明。 | |
観音森古墳のある神社の鳥居 |
名もわからない神社 |
社殿の後に墳丘 |
墳丘に上がる階段もある。 |
墳丘上には小さな祠 墳丘から東を見ると、 前方部みたいなものがあるような… |
東にある墓地 少し離れているけど・・ ここまで前方部かもしれないとか・・・。 詳細不明・・・・ |
塩川町には、いろいろな遺跡があるようだ。昔は栄えていたのだろうな・・・・・。
深沢古墳 市指定史跡 |
喜多方市塩川町中屋沢 撮影日2013/10/6 |
深沢古墳は41.5mの前方後円墳 後円部径27.5m・高さ3.67〜4.49m 前方部長さ14m・幅16.5m・高さ2.6〜3.1m くびれ部幅9.7m 1974年測量調査 詳細不明 |
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南からみた深沢古墳 後円部側 |
後円部に上がる階段 熊野神社社殿がある。 |
後円部から前方部を見る。 |
前方部上の石塔 |
前方部から後円部を見る |
西から見た深沢古墳 左前方部 右後円部 |
十九壇古墳群 市指定文化財 |
喜多方市塩川町金橋・中屋沢 撮影日2013/10/6 |
十九壇古墳群配置図 (説明板から) 3号墳は、図では前方後方墳だが、 説明では前方後円墳となっている。 1号墳は、16×13mの方墳 高さ2.2m 2号墳は、12×13mの方墳 高さ1.6m 3号墳は、長軸23mの前方後円墳 高さ2.6m 古墳内部から古式の土師器が出土 4世紀末ころの築造と推定されている。 4号墳は、10×11mの方墳 高さ1.1m もとは大小19の壇(塚)があったことから「十九壇」と呼ばれていた場所だが、 現在は4基の壇が残る。 以前壊されたものから板石組合せ式石棺が出土していて、古墳だど分かっていた。 昭和45年に発掘調査。 |
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説明板の後ろに1号墳 |
2号墳 |
3号墳 手前が前方部 |
3号墳 前方部から後円部 |
3号墳 後円部から前方部 |
4号墳 |
北から見る 左1号墳 右2号墳 |
常世・竹花古墳 市指定史跡 |
喜多方市塩川町金橋・中屋沢 撮影日2013/10/6 |
東から見る |
南から見る |
糠塚古墳群 県指定史跡 |
喜多方市岩月町宮津 撮影日2013/10/6 |
あづまさから、北東1.5km。 13時40分 着。
糠塚古墳群は、「糠塚」「粉糠塚」「那麻里七世神社」と呼ばれる3基からなる古墳群。 糠塚は円墳と思われていたが、航空写真から、 一辺26m・高さ6.1mの方墳と判明した。 この周辺に多くの小円墳が分布していたが、開発によって消滅。 現存する3基のうち、「糠塚」「粉糠塚」が県史跡。 未発掘なので、詳細は不明。 消滅した古墳から、直刀などが出土している。 |
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糠塚古墳 説明板では径17m・高さ5mの円墳となっている。 |
糠塚古墳 墳丘上の石祠 |
粉糠塚古墳 糠塚古墳の北100ほどにある。 現状は、径10mあまりの円墳 |
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那麻里七世神社古墳? 粉糠塚古墳の西側にある山首神社内にある。 |
那麻里七世神社古墳の墳丘上に 山首神社社殿があるのか? よくわからない |
願成寺の古墳 と 会津大仏(国指定重文) |
喜多方市上三宮町上三宮 撮影日2013/10/6 |
喜多方市には、仏像もたくさんある。
願成寺には、古墳を見に行ったのだが、
会津大仏といわれている国指定重文の「木造阿弥陀如来坐像及び両脇侍坐像」が安置されている。
以前、会津大仏が安置されていた阿弥陀堂は、現在修理中のようだ。
願成寺は嘉禄3年(1227)開基と伝えられる古刹である。 山門と大仏堂(阿弥陀堂)は元禄10年〜延宝年間ころの建築物で、市指定重文となる。 山門は、和様と唐様の折衷様式で、十二支が配されている珍しい門。 願成寺には、このほか県指定重文の「木造行道面」がある。 |
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願成寺山門(市重文) 西からみる この両側に古墳がある。 南側の墳丘は、径10m余の円墳状 北側の墳丘はそれより少し小さく見える 詳細不明 古墳を守るように、寺が建てられている。 |
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山門北側の墳丘 |
山門南側の墳丘 |
願成寺本堂 |
現在の大仏堂 会津大仏が安置されている |
会津大仏 ガラス越しで撮影 「木造阿弥陀如来坐像及び両脇侍坐像」 中央の本尊阿弥陀仏は高さ2.64m(丈六仏)で、 古くから会津大仏と呼ばれてきた。 本尊の光背にある千体化仏は、 かつて周辺の村から戦地に出征した人々がお守りにしたため欠落がある。 左の勢至菩薩は高さ1.3m 右の観音菩薩は高さ1.285m |
願成寺には土産物店もある。トイレもある。でも見学者は私達二人だけ・・・
帰りに土産店で、ソフトクリームを買って食べる。
喜多方市産業部観光交流課発行の「喜多方の文化財」という」パンフレットには、
お寺や仏像ほかいろいろなものが掲載されている。
このパンフを参考にしながら喜多方をめぐるのもおもしろいと思う。
会津坂下町につづく・・・・。