東北の旅その8
三日目B四日目@
雷神山古墳から撮影日2013/10/1〜6
三日目、日暮れ前に、大きな古墳の見学だ。
実は、東北の旅に行く前は、雷神山古墳と遠見塚古墳しか知らなかった。
雷神山古墳と小塚古墳 国史跡 |
名取市植松字山 撮影日2013/10/3 |
16時20分 着。 駐車場は公園の北側にある。
東北地方最大の古墳・雷神山古墳と、その北にある小塚古墳は、史跡公園内に保存されている。
雷神山古墳 パノラマ写真 |
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史跡雷神山古墳保存整備案内図 (現地案内板から) 左・小塚古墳 右・雷神山古墳 雷神山古墳の前方部端は 墓地となっている。 雷神山古墳の北側に、 小塚古墳がある。 雷神山古墳は 全長168mの前方後円墳で、東北地方最大の前方後円墳。 後円部径96m・高さ12m 前方部長さ72m・高さ7.2m・前方部前幅96m 前方部2段築成、後円部は3段築成 葺石あり 周堤と周濠がある。 小塚古墳は、径54m・高さ8mの円墳 周堀あり 3段築成 葺石なし 埴輪なし。 埴輪壺や底部穿孔壺型土器などが出土。 名前の由来は、古墳頂部に雷神を祀る祠がありそれにちなんだもの |
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雷神山古墳 前方部脇の「たかまり平坦部」から後円部を見る |
雷神山古墳 前方部から後円部を見る |
雷神山古墳 後円部から前方部を見る |
雷神山古墳 後円部側周堀跡から墳丘を見る 左手前・後円部 |
雷神山古墳 後円部頂には小さな祠がある。 雷神様。 |
小塚古墳から雷神山古墳後円部を見る |
小塚古墳 雷神山古墳後円部から見る |
小塚古墳 周堀跡 |
暗くなってきた・・・・・。
遠見塚古墳 国史跡 |
仙台市若林区遠見塚1丁目 撮影日2013/10/3 |
歴史公園として復元整備されているが、駐車場はない。
史跡遠見塚古墳公園入口
遠見塚古墳は、全長110mの前方後円墳 東北地方で5番目の大きさである。 後円部径63m・高さ6.5m 前方部幅37m・長さ47m・高さ2.5m 後円部は二段築成。葺石なし、埴輪なし 周囲には濠がめぐらされている。 戦後アメリカ占領軍が、飛行場建設のための土取りで、古墳を削平した。 後円部に、2つの粘土槨があり、中に割竹形木棺が納められていた。 副葬品は、東槨からのみ小玉4点、管玉1点、竪櫛20点が出土している。 4世紀末〜5世紀初頭の築造と推定されている。。 古墳の外から土師器がみつかっており、 7世紀頃までこの場所で祭祀が行われたらしい形跡があるが、古墳との関連は不詳である。 |
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遠見塚古墳全景 左(北側)後円部 |
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遠見塚古墳 前方部から後円部を見る |
遠見塚古墳 後円部から前方部を見る |
法領塚古墳 | 仙台市若林区一本杉町 聖ウルスラ学院内 撮影日2013/10/3 |
17時23分 着。はっきり言って、真暗・・・・・。路駐で、急いで見学。
学校内にあるので、学校の体育館の明りのおかげで、何とか見学できた。
写真は、ダメだけど・・・・。
法領塚古墳は、径55m、高さ6mの円墳。周溝を持つ。 法領塚古墳 墳丘図 (説明板から) 南に開口する横穴式石室は、全長約9m。 玄室部は長さ約5.7m、幅・高さ約1.9m。 琥珀玉や直刀、馬具、 銅鋺、土師器、須恵器などが出土している。 7世紀前半の築造と推定されている。 2010(平成22)年11月、仙台市教育委員会の発掘調査で、 本来は径50m以上で2段築成の円墳であるとわかった。 古墳時代終末期の円墳としては東北地方最大規模になる。 古墳の周りは、江戸時代以降は屋敷となり、 昭和29年に、学校が建てられてからも大切に守られてきた。 |
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法領塚古墳 現状はずいぶん小さくなってしまっている。 まん中の説明板の後あたりに、石室が開口している。 |
法領塚古墳 石室内部 (説明板写真から) |
兜塚古墳の近くを通りかかったが、午後6時ごろとなり、真暗でさすがに、見学は諦める。
(兜塚古墳は全長75mの帆立貝形前方後円墳・仙台南高等学校の校地にある)
今夜の宿泊は、秋保温泉・ホテル華の湯。夕食は、豪華で美味しかった。
売店で、プロ野球「東北楽天」優勝記念の地域限定みやげをゲット。
4日目の朝、朝食前に、ホテルそばの磊々峡(ライライキョウ)へお散歩。
名勝 |
磊々峡 | 仙台市太白区秋保町 撮影日2013/10/3 |
磊々峡は奥羽山系二口渓谷から発した名取川が、急に川幅を狭め、急流となり、流勢を減じて紺碧の深淵となる。
両岸は秋保石と呼ばれる石英安山岩質凝灰角礫岩でできていて、奇岩怪石が磊々と重なりあい、景勝を豊かにしている。
昭和6年に、磊々峡と命名された。 (説明板から)
樹木が大きくなり、景色が見えにくくなってしまっているのが残念だ。
ホテルに戻り、朝食後、村田町に向かう。
村田町・針生古墳につづく。
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